赤壁の敗戦の原因は腸チフスだった?多くの魏将の生命を奪った伝染病とは?

2016年1月27日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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腸チフスは戦争と切っても切れなかった

 

疫病03

 

腸チフスは、チフス菌というサルモネラ菌の仲間が起します。感染は経口感染で、チフス菌の保菌者の便や衣類、保菌者と接触する事で感染するほか、それらの菌が付着したモノに集った蠅が食物に触れ、それを人が食べる事でも感染します。主に上下水道や衛生観念が浸透していない地域で発生するほかに、戦争など、大勢の人間が動いて衛生状態が悪化し、新鮮な水が不足する場合などに大発生します。建安年間には、魏の出兵が頻繁(魏だけに限らないですが)だったのでどうしても、腸チフスが流行する事になったのでしょう。

 

腸チフスを科学的に分析してみた曹植(そうしょく)

曹植

 

西暦217年の腸チフスの大流行は伝染病に対する様々なアプローチを起す事になりました。曹操の息子として、その合理的な側面と詩的な才能を受け継いだ曹植(そうしょく)は、説疫氣(せつ・えきき)という詩をあらわしました。説疫氣とは、「伝染病を説明する」という意味で曹植なりに迷信では無く科学的に伝染病を説明しようとしています。

 

曹植

 

当時、腸チフスに対して、民衆は怯え、これを鬼神の手段と考え、門にお札を貼るなりして必死の祈願をしました。それに対して、曹植は冷静かつ冷ややかな目線を向けています。「建安22年、疫病が猛威を奮った。どの家でも亡くなる者が出て家族は悲しみにむせび泣いた。或る一家は死に絶え、或る一家は尽き果てて、人はこの疫病が鬼神の仕業であると考えている。

 

しかし、この疫病に罹ったものは、粗末な毛布を纏い豆を食べている子供や、貧しい男女ばかりである。充分に食べて、貂の毛皮を何枚も重ねて眠るような富裕層では、殆ど病気に罹るものはいなかったのだ。要するに陰陽が正しい位置を狂わせて寒波や暑さが時期を誤った為に疫病が起きたのであって、浅はかな人々がお札を、あちこちに貼り付けて、疫病を抑えようとしているのは、まったくオカシな話だ」

 

ドライで合理的な曹植の見解

曹植

 

流石に、病原菌というものの存在が分からなかった当時ですから、陰陽の位置という儒教的な考えを持ち出す所に時代の限界がありますが、伝染病が鬼神の仕業という迷信を撃ち破り、科学的なアプローチを試みた点に曹植の合理主義者の一面が窺えます。しかし、当時の貧しい人が、この詩を読んだらきっと反感を持つでしょうね。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

伝染病の歴史は三国志演義や通常の戦史には出てきません。しかし、その破壊力たるや、一国の経済をガタガタにしてしまう程です。曹操を撃退したのは、孔明(こうめい)でも周瑜(しゅうゆ)でもなく腸チフスだったというのは、この伝染病の大流行を見ると頷けますね。本日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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