【はじめての孫子】第5回:戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり

2015年9月11日


 

はじめての三国志の軍師

 

さて、『はじめての孫子』第5回目、謀攻篇であります。

戦争は国の大事であり、勝っても負けても国に大きな損害を与えると主張する孫子ですが、

では、彼はどのような方法で戦争に勝つことを理想としたのでしょうか?

 

今回は、孫子を出典とする名言の中でも特に有名な、あの一言が登場します。

 

前回記事:【はじめての孫子】第4回:兵は勝つことを貴ぶ。久しきを貴ばず

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



「謀攻篇」の要点

 

・味方のみならず、敵の一兵をも殺さないのが最善である

・敵の作戦を見ぬいて、それを事前に防ぐのが一番良い戦い方である

・君主は将軍を信頼し、無闇にその指揮に口を挟んではいけない。

・勝利するために最も大切なのは、敵と自分の双方を熟知することである。

 

 

 

敵の兵士をひとりも失うことなく勝つのが戦争の極意?

 

『孫子曰く

凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ』

 

最も理想的な戦争の勝ち方とは、

敵の兵士を一兵たりとも損ねることなく勝つことだと、孫子は主張しています。

 

味方の兵士ではありませんよ。

敵国の兵士を、です。

 

たとえ、対峙しているのが一万人を超える軍団だろうと、たった5人の小隊であろうと、

これを一人たりとも殺すことなく、勝利するのが最善の策だと孫子は言っているのです。

 

いくら百回戦って百回勝利しえても、

実際に戦って敵に損害を与えてしまうのは良い勝ち方とは言えない。

戦闘することなく相手を屈服させること。それこそが理想である。

 

……確かに一切の損害を出すことなく、

戦争に勝てればそれ以上良いことはありません。

けど、そんな無茶なこと、本当に可能なのでしょうか?

 

最上の勝ち方の秘訣は、敵の計画を未然に打ち破ること

 

実際に戦うことなく戦争に勝つ最善の方法として、

孫子はまず、相手の計画を未然に打ち破ることを上げています。

 

この場合の計画とは、言うまでもなく敵国が自国を攻めようとしている計画のことです。

確かに、相手の計画を未然に防いでしまえば、結果的には自国が勝利したことになりますね。

 

続いて孫子は、敵国とその友好国との同盟関係を断ち切ることが次善の策だと述べています。

 

敵がいざ攻撃をしようとしても、その同盟国との関係が悪化してしまえば、

うかうかと攻めてくるわけにはいきません。

敵国の同盟関係を分裂させるのは、

結果的に自国の戦力を使わずに勝利することに繋がる、というわけです。

 

敵の計画を未然に防ぐことができず、敵国の同盟関係を分裂させることも出来ない。

そういう状況になってしまったらこれはもう、敵と直接戦うしかありません。

 

孫子は、できるだけ敵軍を野戦において撃破しなければいけないと説いています。

野戦というのは、城や砦ではない、普通の戦場で行われる戦闘のことですね。

 

そして、もっとも下策であり、やってはいけないこととして、孫子は城攻めを上げています。

 

なんで城を攻めてはいけないのか?

兀突骨

 

以前、『空城の計って何?門を開けて敵軍をお出迎え?』という記事でも触れましたが、

城にこもって戦う方法=籠城戦とは、守る方にとって圧倒的に有利な戦い方です。

 

古代中国における城とは、都市を意味します。

この時代の都市は、領主の宮殿を中心として市街地があり、

その外周を高く強固な塀が覆っていました。

このような都市を城塞都市と呼び、中国の他ヨーロッパなどでも多くみられました。

『進撃の巨人』を想像すると、イメージしやすいかもしれません。

 

関連記事:悲しみの巨人、兀突骨(ごつとつこつ)は実在してた?

 

都市ひとつが丸々一個の城になっているのですから、

そこに備蓄できる物資の量もハンパではありません。

城を包囲して持久戦になれば数ヶ月、下手をすれば一年以上も戦いが続くことになります。

 

なにより、城の守りの要である城壁は強敵です。

高さ十数メートルを超える城壁ですから、

おいそれと乗り越えることはもとより、打ち壊すことも一筋縄ではいきません。

 

三国志の時代には、城壁を破壊するための投石兵器である霹靂車(カタパルト)や、

城壁を乗り越えるハシゴを備えた雲梯車と呼ばれる兵器があったようですが、

孫子の時代はこれよりもずっと昔の話です。

城を攻める有効な手段はなかったと言っても過言ではないでしょう。

 

孫子は城攻めを行うには、まず事前準備に三ヶ月、

そして城攻めを行う陣地構築のための土木作業にさらに三ヶ月、

つまり城攻めの準備だけでも半年は必要と見積もっています。

 

準備が十分整う前に堪えきれずに攻撃を実行してしまったらどうなるでしょう?

 

将軍は兵士に対して城壁を登って攻撃するように命じ、

兵士たちは致し方なく、わらわらとアリのように城壁を登るしかありません。

そうなったら守り手にとっては絶好のチャンス、敵を攻撃し放題です。

あっという間に兵士の三分の一が戦死し、守備側にはほとんど損害もないでしょう。

 

そうなったらマジ目もあてられんから止めとけ。

……と、孫子はだいたいそんなようなことを言っています。

 

主君と将軍は親密でなければいけない

徐庶と出会う劉備

 

軍の最高指揮官は君主ですが、実際に戦場で軍を指揮するのは将軍です。

孫子は、君主は能力の高い将軍を選び、その将軍の間には親密な関係を結んで、

いざ実際に戦闘になったら将軍にその指揮を一任すべきであると言います。

 

自分が軍事について疎いのに、将軍を信用せず、

横から指揮に口出しをするようなことをしては、

兵士は迷い、命令に疑いを抱くことになってしまいます。

 

そんなことになってしまったら、敵にとってはチャンス到来、

一気に兵を上げて自国へと攻めこんでくるでしょう。

それは自分から勝利の機会を取り去ってしまうようなものだ。

 

孫子はそう述べて、将軍の指揮に口を差し挟むことに釘を差しています。

 

これは、現代の社会においても良くあることです。

プロジェクトを統率する課長の指示に従って仕事をしていたら、

現場を知らない部長や社長が口をはさんできて、

結果現場が大混乱……そんな経験をしたことのある人も多いのではないでしょうか。

 

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敵を知り己を知れば百戦危うからず

劉備読書

 

孫子は、戦争の勝利を予知する5つのポイントがあると言います。

 

  • 戦って良い場合と悪い場合を分別できるものは勝つ
  • 大兵力と小兵力、それぞれの運用法の違いを理解しているものは勝つ
  • 上下の意思統一ができているものは勝つ
  • 計略を仕組んで敵に気づかせないものは勝つ
  • 有能な将軍を任命し、現場の指揮権に口をはさまないものは勝つ

 

勝利をつかむためには、まず敵と己、双方の実情を正確に把握し、

理解することが最も大切だと、孫子は説いています。

 

『敵を知り己を知れば百戦危うからず』

 

敵のことを熟知し、自分のことも熟ししていれば、百回戦っても負けることはないだろう。

 

現代ニッポンでも特に有名な孫子のこの一節は、

戦争でいかに無駄な犠牲を出さずに勝つことが重要であるか、

そのことを考えぬいた孫子だからこそ言えた言葉ではないでしょうか?

 

曹操を知り、袁紹を知っていた荀彧は、官渡の戦いで曹操を勝利に導く

袁紹逝く! ゆるキャラ

 

三国時代、宿敵袁紹(えんしょう)と決着をつけるべく、

曹操(そうそう)は官渡において袁紹軍と対峙します。

初戦には勝利した曹操軍でしたが、もともと兵力は袁紹軍の方が圧倒的に上であり、

戦況は膠着状態に陥ります。

 

物資にも困窮し、弱気になった曹操は本拠地である許昌にいる軍師、

荀彧(じゅんいく)に「勝てそうにないから軍を引き返そうと思う」と、手紙を送ります。

 

しかし、荀彧から帰ってきたのは、そんな曹操を叱咤する言葉でした。

「今は辛いでしょうが、ここが精進のしどころです。殿は必ず勝てます!!」

荀彧の言葉に励まされた曹操は、奮起して袁紹との最終決戦に臨みます。

 

もちろん、荀彧はただ無責任に曹操をけしかけるような返事を書いたわけではありません。

 

荀彧は、どんな逆境にあっても勝機を逃さない曹操の人となり、

そして、己の強大さに慢心している袁紹の性格を知り抜いていました。

 

曹操が劣勢となれば、袁紹は慢心して油断し、きっと隙を見せる。

そして曹操なら、そのチャンスを逃すはずがない。

荀彧はそう確信していたのです。

 

そして、彼の予想した通り、

袁紹は兵糧の貯蔵庫の守りを固めるべきだという家臣、沮授の言葉を無視し、

その隙を曹操に突かれて大敗を喫することになるのです。

 

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次回の『はじめての孫子』は?

袁紹VS袁術

次回は孫子第4章「形篇」です。

攻撃よりも守備が大切なのはどうしてか?

どんぶり勘定で戦争をしてはいけない?

 

それでは、次回もお付き合いください。再見!!

 

次回記事:【はじめての孫子】第6回:勝つために最も大切なことは智謀でも勇気でもなく、緻密な計算

 

はじめての孫子の兵法

 

 

 

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石川克世

石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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