明の時代の墓から出土した腕時計型の指輪は、後漢時代のダ・ヴィンチが作ったものだった!?(HMR)

2015年12月6日


 

指輪 引用

(写真引用元:kowabana.jp/

 

中国史のさまざまな謎を追う「はじさんミステリー調査班」(HMR)、今回は明の時代の墓所から発掘された、謎の指輪の正体に迫ってみようと思います。果たしてそれはオーパーツなのでしょうか?

 

それとも……。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ベトナム国境近くで発掘された、金属製のスイス腕時計型指輪

指輪 引用

(写真引用元:http://fanblogs.jp/

 

2008年12月、中国で発掘されたある指輪が話題となりました。

出土したのは中国のベトナム国境近くに位置する広西チワン族自治区にある明(1368年~1644年)の時代のものと思われる墓でした。

 

その墓の棺室に収められていた粘土製の棺桶の中から、鋼でできた指輪と思しきものが発見されました。

 

驚くべきは、その指輪の形でした。

それはどう見ても、腕時計にしか見えないものだったのです。

 



時刻を示す長針と短針、そして『スイス製』の文字まで

 

 

文字盤に当たる部分には長針と短針が刻まれており、10時6分を指し示しています。

しかもなんと、その文字盤の裏には「瑞士」の文字が。

「瑞士」は中国語で“スイス”を意味します。

つまり、この時計はスイス製の腕時計を模した指輪であったのです。

 

果たして、明の時代の墓所から、スイスの腕時計をかたどったミニチュアが出土することなど、ありえるのでしょうか?

 

腕時計は19世紀の発明品

 

時計の歴史は古く、紀元前3500年頃にはエジプトで日時計が使われていたことが記録に残されています。イタリアのナヴォーナ広場や、パリのコンコルド広場などに移設され有名なあのオベリスク(方尖塔)も、その影を日時計として利用されていたことが知られています。

 

しかし、腕時計が出現するのは機械式時計が発明された後、

オベリスクが日時計として使用されていた時代から5500年もの未来、19世紀後半を待たなければいけません。

明は14世紀から17世紀にかけて存在した王朝です。その時代の墓に、腕時計を模した指輪が副葬品として収められるわけがありません。まして中国にスイス製の腕時計が輸入されるようになったのは、第二次世界大戦以降のことだと言われています。どう考えても、このようなものが出土するなどありえません。

果たして、この腕時計型指輪は本当にオーパーツと言えるものなのでしょうか?

 

 

中国の時計の歴史を辿ってみる

 

 

中国で最初に用いられた時計は水時計だったされています。

水時計とは、流れる水を容器に入れ、その量(水面の高さ)で時刻を調べる仕組みの原始的な時計で、日時計と同様の古い歴史があると考えられています。

 

中国で水時計が使用されるようになったのは、実在したことが確認されている最古の王朝である殷の時代(紀元前17世紀~紀元前11世紀)で、

メソポタミアから持ち込まれた水時計がその源流にあるとされています。

 

水時計は中国から周辺アジアへと広まり、『漏刻(ろうこく)』とも呼ばれました。

 

 

後漢時代の学者、張衡が水時計を改良する

 

張衡 wiki

(写真は張衡の切手(1955年発行)

水時計は、流す水を貯めておくタンクの水の量で水流の速さが変化し、正確に時刻を計るには難がありました。

 

この問題点を改善したのが、後漢時代の学者である張衡(ちょうこう)でした。彼は水を貯めるタンクと、水時計となる容器の間に予備タンクを置いて水流の流れを一定に保つ改良を水時計に加えました。

 

 

張衡はまるでレオナルド・ダ・ヴィンチのような人だった?

 

この水時計を改良した張衡は、かなり多才な人物であったようです。

若いころから文才を持ってその名が知られており、29歳の時に当時の風俗史とも言われる『二京賦』(洛陽を描いた「東京賦」と長安を描いた「西京賦」の二作から成る)を書いています。

 

 

張衡

 

30代に入った頃から天文を学び始め、理数系の学問に才能を開花させていきます。

天体の動きを観測して、月が球形であることや月の光が太陽光の反射であること、さらに月食が起こる原理を書き残しています。

数学にも秀で、円周率を計算、さらに数学と天文の知識を活かし、月の直径を計算、1年の長さが365日と1/4であると算出する成果を上げています。

 

そして張衡は水時計の改良だけではなく、数々の発明品を残していることでも知られています。

 

どうですか?この多才ぶりは。

まるで、後漢時代のレオナルド・ダ・ヴィンチといった感じの人物ではないですか。

 

世界史上初の地震感知器「地動儀」の逸話

地動儀(展示用模型) wiki

 

張衡の数々の発明品の中でも特に有名なのが世界初と言われる「地動儀」=地震感知器です。

 

張衡の発明した地動儀には、こんな逸話が存在します。

ある時、都である洛陽に設置されていた地動儀が西北の方向で地震が起きたことを感知しました。

しかし都では、誰も地震が起きたことを感じた者はいませんでした。

そのため、宮中の一部の者は「あんなのデタラメじゃないか」と疑いをかけたそうです。

ところが数日後、都から遠く西北に位置する涼州の甘粛から急使がやってきて、涼州で大きな地震が起こったことを報告。

張衡の地動儀は実に500キロも離れた場所の地震を感知できることが判明し、以後、その性能を疑うものはいなくなった、ということです。

 

 

胡散臭いライター石川克世とはじさん運営代表おとぼけの会話

石川

 

おとぼけ「……で?」

石川  「で? とは?」

おとぼけ「だから、明の時代の墓から発掘されたっていう、スイスの腕時計型指輪の話

ですよ。あれは結局本当にオーパーツなんですか?」

石川  「さあ、どうなんでしょ?」

おとぼけ「どうなんでしょうって、それじゃ無責任でしょ!!」

石川  「情報が少ないんですよ。クロムメッキ剣みたいに、考察できる資料もないし」

おとぼけ「わからんで書いたのか、あんたは?」

石川  「俺にだって……わからないことくらい、ある」

おとぼけ「◯◯◯◯のセリフ使ってごまかしてるんじゃねえ!!」

石川  「おがっ!?」

 

それでは、次回もお付き合いください。 再見!!

 

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この記事を書いた人:石川克世

石川克世 三国志

自己紹介:

小太郎さん(スキッパーキ オス 2歳)の下僕。

主食はスコッチウイスキーとコーヒーとセブンイレブンの野菜スティック。

朝風呂が生きがいの小原庄助的ダメ人間。ヲヤジ。

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石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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