秦の宰相として歴史に名を刻んだ名宰相・范雎(はんしょ)【丞相編】

2016年2月29日


 

魏での辛い日々を乗り越えついに秦の宰相となった范雎(はんしょ)。

魏の地で味わった辛い仕打ちの復讐を企てます。

復讐に成功した後、彼は有名な遠交近攻の策を昭襄王に献策。

歴史に名を留める事になります。

 

前回記事:范雎(はんしょ)とはどんな人?平民から秦の宰相まで上り詰め、恩と復讐を忘れなかった苦労人

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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仕返しの時その1

 

 

秦の宰相となった范雎は昭襄王から魏冄(ぎぜん)を追放した功績から

新たに領地をもらいます。

こうして秦での実力者となった頃、魏の使者が秦にやってきます。

その使者の名は魏の地で范雎が痛めつけられた原因となった須賈(しゅか)です。

范雎は一策を講じます。

須賈が范雎の自宅にやってくるとみすぼらしい恰好をした范雎を見つかます。

須賈は范雎が生きている事に驚き「お前まだ生きていたのか。」と声をかけます。

范雎は「はい。どうにかこの通り、生きております。」と答えます。

須賈は范雎のみすぼらしい姿に同情し、厚手の服を彼に与えます。

彼は范雎に「ところで、秦の宰相張禄(ちょうろく=秦では范雎ではなく

張禄と名乗って宰相になっていた)殿と会いたいのだが、お主何とかしてくれぬか。」と依頼します。

范雎は俯いて笑いをこらえながら「はい。存じております。私がご案内いたします。」と自らの家へ案内します。

こうして自らの家に招き入れ、応接間に通します。

その後彼は須賈に「張禄様を呼んできますゆえ、しばしお待ちくだされ」

と告げ、屋敷の奥に入っていきます。

 



仕返しの時その2

 

 

范雎は正装に着替え、須賈の前に現れます。

須賈は范雎が秦の張禄であった事に驚き彼の前にひれ伏します。

范雎はひれ伏した須賈を見下ろし、「お前には三つの罪がある。一つ魏斉に

ありもしない事実を告げた事。二つ鞭で打たれている私を助けなかった事。

三つ目厠で私が辱めを受けていた事を知っていたにも関わらず、助けなかった。

以上三つがお前の罪だ。しかし、先ほど私に恩情かけ、厚手の服を渡してくれた

事で、死刑は取りやめてやろう」と情けをかけます。

その後須賈を歓迎する宴会の席を設けます。

范雎はこの席で須賈に「魏斉の首を差し出せ」と彼を睨み付けながら言います。

彼は「承知いたしました。」と頷き、足早に宴会場を後にし、魏へ帰国します。

こうして須賈には痛快な仕返しをします。

 

復讐の時その1

 

 

須賈は魏へ戻ると、魏斉に報告します。

魏斉は范雎が生きていた事に驚くと共に、彼の復讐に恐れを抱きます。

そして須賈から報告を受けた翌日、趙の平原君を頼り、魏を脱走します。

しかし范雎はこの程度の事で、魏斉を許すわけなく、

趙の孝成王に圧力をかけ、魏斉を渡すよう申し伝えます。

魏斉は趙にまで圧力をかけてくる范雎に恐れ、魏の信陵君へ助けを依頼。

信陵君は犠牲の依頼を断ります。

魏斉は信陵君に断られた事を知ると、逃げ場がない事を知り、自害。

魏斉の首は范雎の元へ送られます。

范雎はこうして自らを痛めつけて来た人へ復讐を果たし、大満足します。

 

助けてくれた人へ恩を返す

 

 

范雎は復讐を終えると、自らを助けてくれた鄭安平を秦に招き将軍にします。

また昭襄王へ推挙してくれた王嵇に対しては、領地を与えます。

こうして自らが苦しい時に助けてくれた人にはしっかりと恩で報います。

 

 

遠交近攻の策

 

 

范雎はこうして、恩と復讐をかなえ、大満足します。

そしてある日王に面会した際、彼は日頃から温めていた秘策を披露します。

「王よ。現在秦の方針は穣侯(魏冄=ぎぜん)の頃と何も変わらず、

韓と魏と同盟を組み、遠く離れた斉を討とうとしております。

もし仮に斉の討伐に成功しても、領土を保全する事は難しいでしょう」と進言。

昭襄王は范雎に「ではどうすればよいのか」と告げます。

すると范雎は「遠い国である斉と燕とは同盟を結び、近くの国である

・韓・・趙を討てば領土を拡大し、保つことも難しくないでしょう。」

と策を進言します。

昭襄王は彼の進言を採用し、秦から遠い斉と燕の二国と同盟を結び、

近くにある韓・魏・趙・楚の攻略に力を注ぎます。

この范雎が提案した策こそ後世にまで伝わる「遠交近攻の策」と

呼ばれる事になる策です。

最初は貧民であったが、秦の宰相となった事で得意の絶頂を迎えた

范雎も次第に権力の座が危うくなってきます。

 

名将白起を処刑

 

 

范雎は自らとそりが合わない白起(はくき)と度々もめ事を起こします。

あるとき趙へ遠征させるため范雎は、名将白起を起用します。

白起がやりすぎないようにするため、幾度も忠告します。

しかし白起は彼の言うことを聞かずに無視。

長平の戦いで白起は大勝利を得た後、捕虜にした趙兵40万人を

全員生き埋めにします。

范雎は趙兵全員を生き埋めにした白起を解任し、秦国へ帰還するように命じます。

范雎は白起が帰国した事を知ると、昭襄王に「長平の戦いに大勝利しましたが、

彼は捕虜にした趙兵40万人全員生き埋めにしました。

この行為はいかに勝利をおさめた将軍といえどもやりすぎでありましょう。

また白起のせいで趙の国民は秦を恨んでおります。

趙の恨みを少しでも和らげるためには、白起を殺すしかありません。」と

昭襄王に進言をします。

昭襄王は彼の言うことに頷き、白起を処刑します。

こうして范雎は気に食わなかった常勝将軍白起の殺害に成功。

白起は政争に負け、あっけない最後を遂げる事になります。

 

恩を施した者が裏切る

 

 

范雎は助けてくれた友人鄭安平を将軍にしました。

范雎は白起を処断した事で、趙攻略を鄭安平に任せます。

しかし鄭安平は趙攻略に失敗。さらに彼は捕虜になってしまいます。

このミスが原因で范雎は落ち込んでしまいます。

さらに范雎は自らを推挙してくれた宦官王稽に領地を与えていましたが、

彼が他国と内通を図っていたと発覚。

王稽は処断され、彼の家族も罪を受け、殺害します。

この事件により范雎はすっかりと精神的にショックを受けます

 

キングダムの呂氏四柱の一人、蔡沢の助言

 

 

范雎は精神定ショックを受け、落ち込んでいる最中、一人の男が

面会を求めてきます。

范雎は気乗り薄でしたが、気を紛らわすため、彼に会うことにします。

この男こそキングダムの呂氏四柱の一人として活躍していた蔡沢(さいたく)です。

蔡沢は范雎に「身分は高く、家も裕福で、さらに寿命も長く、自らが

手掛けた実績が、末永くの後世に伝われば最高ですな。」と言います。

范雎は彼の言葉に頷きます。

蔡沢は范雎が頷くと言葉を続けます。

「あなたは秦の商鞅や呉の伍子胥、越の大夫種この三人とよりあなたは上ですか。」

と問いかけます。

すると范雎は首を横に振ります。

蔡沢はさらに言葉を続け「私が先ほど申し上げた三人はいずれも悲惨な最後を

遂げております。今のうちにあなたも丞相の位から

退かれた方がよろしいのではないですか。」と

范雎に引退するべきだと進めます。

范雎は蔡沢の意見を取り上げ、引退を決意。

昭襄王に蔡沢を推挙し、平民から宰相の位になった名宰相・范雎はこうして

歴史の表舞台から退き、平穏な余生を過ごすことになります。

 

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三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

自分に恩を施してくれた人には十分に恩を返し、

自分を虐げて来た人には復讐で返した、秦の名宰相范雎。

痛快な出世人ですね。

しかし恩を施した人間に裏切られるとは何とも残念としか、

言いようがありません。

しかし恩を施した鄭安平と王稽が秦に国益をもたらしていたら、

范雎はどうなって居たのでしょう。

もしかしたら商鞅や伍子胥達のような末路を辿っていたかもしれませんね。

「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃまたにゃ~」

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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