晏嬰(あんえい)とはどんな人?孔明の好きな梁父吟を作った春秋戦国時代の名宰

2016年3月4日


 

孔明 出師

 

諸葛亮孔明が隆中で暮らしている時よく口にして歌っていた「梁父吟」

この歌を作ったのが春秋戦国時代の

名宰相と言われる晏嬰(あんえい)です。

 

彼は斉の国の宰相として活躍した人物で、

「史記」を書いた司馬遷(しばせん)孔子も彼を非常に高く評価しています。

司馬遷や孔子も高く評価した晏嬰とは一体どのような人物であったのでしょうか

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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小さいけど勇気に満ち溢れる

 

 

晏嬰の身長はすごく小さく「6尺であった」と言われております

6尺というと当時の一尺が大体22.5㎝であったので、

これを単純に6倍すると135㎝ぐらいですね。

今の小学6年生の小さい事同じくらいの身長です。

しかし彼は常に斉の国の事を考え、

上司や目上の人間、君主に対してでも間違った事があれば、

はっきりと諫言します。

晏嬰のこの態度が斉の国民からすごい人気を得ます。

 



斉の霊公に仕える

 

 

晏嬰は斉の霊公に仕えます。

霊公は民衆が祭りの時、町の女性たちが全員男装していることを辞めさせたいと

思い、男装禁止令を発令します。

しかし町の女性たちは男装を辞める事はありませんでした。

霊公は晏嬰に「どうすれば町の女性は男装を辞めるのであろう」と相談します。

すると晏嬰は「後宮の男装を辞めさせれば、町の女性はすべて男装をやめましょう」と告げます。

霊公はすぐに晏嬰の言葉に従い、後宮の男装を辞めると

町の女性達も男装を止めます。

 

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田舎に帰る

 

 

霊公が亡くなると子の荘公の時代になります。

荘公の時代、北の超大国である晋で権力闘争が発生。

この権力闘争に負けた晋の貴族欒盈(らんえい)が亡命してきます。

荘公は欒盈を助けようとしますが、晏嬰は「止めた方がよろしいでしょう」と

諌言します。

しかし荘公は晏嬰の諫言を無視して欒盈に協力します。

晏嬰は自らの諫言が入れられなかった事と荘公から疎まれていることを感じ取り、

田舎に帰ります。

 

君主に哭礼をあげる

 

 

荘公はその後斉の宰相崔杼(さいじょ)に殺害されてしまいます。

晏嬰は荘公が崔杼に殺されたと聞くと彼の家に駆けこみますが、

難しい問題が待ち受けておりました。

それは晏嬰がもし崔杼の家に駆けこんで荘公を悲しめば崔杼に殺されて

しまいます。

また荘公を悲しまず崔杼におもねれば後世に悪名が残ります。

この問題に晏嬰は名言を残します。

「君主が国家のために亡くなったのであれば私も共に死のう。

君主が国家のために亡命を行うのであれば、私もお供しよう

君主が私事で亡くなったのであれば、私がお供する必要はない。」と

崔杼の家の中に入ってから大声で叫んだ後、普通の哭礼(こくれい=大声で泣く事)

を行い、家に帰ります。

この時崔杼の配下は晏嬰を殺すよう進言しますが、崔杼は彼の名声の高さを

考えると殺すのは得策でないと考え、殺害を中止させます。

 

斉の新たな君主景公が擁立される

 

 

崔杼は協力者と共に斉の新たな君主として景公を擁立します。

この時反対派の意見を封殺する為、「われらに従わない者は殺す」と

脅しをかけます。

晏嬰は脅されても屈せず、「君主に忠誠を尽くし、国家のためになる人へ味方する」と

崔杼へ言い返し、その場を去ります。

その後崔杼は斉の貴族達に殺されますが、斉の貴族たちは景公を手に入れ、

自らが行った行動に正当性を付けようとします。

しかし晏嬰は景公をかばい、「あなた達と崔杼(さいじょ)は私怨で戦った事であり、

斉の君主には関係ない。」と斉の貴族達へ言い放ち、景公を守り通します。

 

 

斉の名宰相晏嬰の登場

 

景公は内乱が収まると、晏嬰を宰相に任命します。

晏嬰は宰相に任命されたさい、司馬穣苴(しばじょうしょ)を

将軍に推挙しています。

宰相になった晏嬰は景公の代理で楚へ行きます。

楚の霊王は彼に恥ずかしい思いをさせてやろうと考えていました。

 

晏嬰列伝その1:無礼な振舞いにしっかりと抗議

 

 

晏嬰は楚へ着くと楚の接待係から宮殿へ案内されます。

楚は宮殿に入る途中に城門があります。

この城門は人間が入る普通の門とその脇に動物が出入りする門の

二種類が用意されていました。

晏嬰は動物が出入りする門を通るよう指示されますが、

接待係に「楚国は他国の使者をこのような小さい門から通すのか」と

威厳を込めて、案内係に言います。

すると案内係は晏嬰の威厳ある言い方に負け、彼を正門から通します。

 

晏嬰列伝その2:楚王の無礼な応対に機転を利かせてやり返す

 

 

楚王は晏嬰と会見すると「斉には人がいないのか」と言います。

すると晏嬰は首都臨淄の人の多さを語ります。

晏嬰の話を聞いた楚王は「そんなに首都に人がいるのになぜおまえのような

使者が我が国に来るのだ」と問います。

この質問に晏嬰は「我が国が使者を派遣する場合、適性を見て派遣します。

賢王がいる国には、賢者を派遣します。しかし暗愚な王のいる国には、

暗愚な使者を派遣するのです。私は斉の国の中で暗愚な方ですから、

今回派遣されたのであろう。」と切り返します。

 

晏嬰列伝その3:楚王をコテンパンにする

 

楚王と晏嬰の会見の最中、楚の役人が一人の男を連れ、

駆け込んできます。

楚王は役人に「どうした」と聞きます。

役人は「この斉人が窃盗を行いました」と男を指さしながら

王の言葉に答えます。

楚王は晏嬰に対して「君の国の人は窃盗が得意なのか」と

質問します。

晏嬰は「斉の人は斉国内では一切窃盗というくだらない罪を犯す者はいません。

しかし楚の国に入ると風土が合わず、窃盗を犯してしまうのでしょう。

これは楚の風土が悪いからではないですか」と言い放ちます。

すると楚王は「君を試してみたら、私が恥をかいてしまった」と

バツが悪そうに晏嬰に語ります。

晏嬰は「そうですか」と一言漏らし、笑いながら会見の続きを行います。

晏嬰は斉の威厳を貶める事無く見事に使者の役目を務めます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

晏嬰は君主や大臣らにおもねる事無く。斉の国の為に尽力した

名宰相です。

そんな彼には面白い逸話があります。

斉の国に功績の高い三人の勇士がおりました。

しかし晏嬰は彼らがいずれ斉の国に害をなすと思い、一策を講じます。

三人の勇士を集め、目の前に二つの桃を置きます。

晏嬰は彼らに「功績の高い順から先に食べろ」と申し伝えます。

二人の勇士は、一つずつ桃をもって食べようとします。

すると残った勇士が二人に「俺も君たちに負けないくらいの功績を

積んできたつもりだ」と怒りを含んで言います。

桃を取った二人は自らの欲深さを恥じて自害します。

残った勇士は二人が自害したのを見届けた後、彼も自殺します。

こうして晏嬰の策は見事に的中します。

実はこの逸話、孔明の好きな「梁父吟」で歌われている一説です。

孔明もこの一節を歌いながら隆中で田畑を耕していたのでしょうか。

「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~。」

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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