はじめての三国志では毎日コンテンツが掲載されています。
今週(2/29〜3/6)に掲載された記事をピックアップ!
はじめての三国志編集部が1週間分の情報をお届けします!
週末、時間が空いた時にゆっくり読んでみてはいかがでしょうか?
今週(2/29~3/6)のまとめニュース
2/29のおすすめ記事
・漢の400年は、たった8年の激しい戦いから生まれた?三国志の前哨戦、楚漢戦争!
楚漢戦争は、たった8年間という短期間に、
ありとあらゆる、英雄、豪傑、知謀の士の夢と野望と挫折が、
ギュッと凝縮した、ジェットコースターストーリーなのです。
3/1のおすすめ記事
・張良(ちょうりょう)とはどんな人?高祖劉邦の右腕として活躍した天才軍師(1/3)
曹操(そうそう)は荀彧(じゅんいく)が自らの家臣となった時、「わが子房が来た。」と喜んだそうです。
曹操が言ったこの子房こそ、高祖・劉邦(りゅうほう)の天下取りを支えた韓の貴族出身天才軍師・張良(ちょうりょう)です。
今でこそ天才軍師の名をほしいままにした張良でありましたが、若い頃は秦に故郷を滅ぼされ、始皇帝をつけ狙う暗殺者でした。
前漢の景帝の何百人いるか分からない子孫の一人、という触れ込みで漢室復興をスローガ ンに立ち上がった劉備(りゅうび)
一介の蓆売りに身をやつしていた没落貴族が一念発起し、立身出世にお家復興を飛び越えて一国の主にまで上り詰めたわけですから、
これぞまさにアメリカンドリームならぬチャイニーズドリームですよね。そんな人物ですから、もちろん常人とは違っていたのでしょう。
3/2のおすすめ記事
・張良(ちょうりょう)とはどんな人?高祖劉邦の右腕として活躍した天才軍師(2/3)
張良(ちょうりょう)は軍略・政治を学びます。その後天下は乱れ張良も兵を集め、自らの君主を探す旅に出ます。
しかしどの群雄も彼のいう事に耳を貸すことはありませんでした。そんな中一人の男と運命の出会いを果たし、彼に仕える事にします。
・三国時代では数学が出来ないと下級役人にもなれない?算籌を徹底紹介!
現在でも数学が苦手という方は、多いと思います。かくいう私もそうですが、三国志の時代でもキングダムの時代でも
役人になるには、最低、四則演算位は出来ないと落第してしまったのです。
3/3のおすすめ記事
・【経営者・人事必見!】諸葛亮孔明から学ぶ7つの人材登用ポイント!
劉備(りゅうび)亡き後の蜀の命運を一身に背負い、強大な魏に挑み続けた諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)。
少し見ると馬稷(ばしょく)のような机上の秀才を登用したダメな上司に見えますが10分の1とも言われる蜀の国力で、
魏と戦う軌跡には、彼が登用した数多い文官、武官の活躍がありました。
3/4のおすすめ記事
・晏嬰(あんえい)とはどんな人?孔明の好きな梁父吟を作った春秋戦国時代の名宰
諸葛亮孔明が隆中で暮らしている時よく口にして歌っていた「梁父吟」
この歌を作ったのが春秋戦国時代の名宰相と言われる晏嬰(あんえい)です。
彼は斉の国の宰相として活躍した人物で、「史記」を書いた司馬遷(しばせん)や孔子も彼を非常に高く評価しています。
司馬遷や孔子も高く評価した晏嬰とは一体どのような人物であったのでしょうか
三国志の時代、一般の人の識字率は、とても低く文字が書けて
読める人は、たいてい、役人になれる士大夫の階級に限られました。
もちろん、この士大夫には、曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)や、
孫権(そんけん)、陸遜(りくそん)のような人々が含まれますが、
彼らが職務を行うにあたって、常に手元においていた七つ道具があったのを知っていますか?
3/5のおすすめ記事
三本脚の独特の形をした祭具である鼎、「鼎の軽重を問う」、「三国鼎立」、
あるいは、「鼎談」など、今でも言葉が残る鼎とは、元々何だったのでしょうか?
そこを調べると、古代の生活が見えてきました。
3/6のおすすめ記事
・棗祇(そうし)とはどんな人?新しい兵糧収入法を考え曹操の覇業を支えた功臣
三国志の群雄たちは、兵糧が少なくなったら豊かな土地を奪い、
そこで兵糧を調達すればよいと考えておりました。
この考えを覆したのが棗祇(そうし)です。
彼は曹操の軍団を支えるため屯田制を考え出します。
この屯田制は目新しいものではなく前漢時代に生み出されたものですが、
彼は前漢時代の屯田制にアレンジを加えて、新たな屯田制を完成させます。
果たして棗祇が考え出した新屯田制とは一体どのようなものだったのでしょうか。
はじめての三国志 2/29〜3/6の週間まとめ
今月(2/29〜3/6)はじめての三国志が配信した記事をご紹介しました。
どれも5分以内で読める記事ですので、隙間時間に読んでみてはいかがでしょうか?