【真田丸特集】司馬懿と秀吉、大返しで天下を手繰り寄せる!

2016年3月20日


 

真田丸

 

真田丸では、天下統一寸前の織田信長が明智光秀に討たれ、

いよいよ、信長の仇を討った、豊臣秀吉の時代がやってくる手前ですが、

この秀吉と三国志の司馬懿には、奇妙な共通点があります。

それが、それぞれの天下を大きく呼び寄せた大返しの仰天戦法です。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも大返しって何?

 

大返しとは、豊臣秀吉が得意とした戦法で常識では考えられない

速度で軍勢を移動させて相手の準備が整わない間に攻撃する戦法です。

 

戦国時代当時の軍隊の行軍速度は、一日15キロでした。

これは、重い鎧兜をつけているので、仕方が無い事でしたが、

当時の武将は、これを考えて敵軍が大体何日位で、

到着するかを逆算していたのです。

 

秀吉は、この敵の裏をかいて、常識では考えられない速度で、

軍を移動させて慌てた敵を撃破しています。

 

200キロを3日で移動する中国(備中)大返し

 

秀吉の行った、一番規模が大きい大返しが、中国大返しです。

1582年、本能寺の変で信長を討ち取った明智光秀は、

周辺の大名に味方になるように手紙を書きつつ戻ってくる

織田の軍団に備えていました。

 

逆に、信長を討たれた側の武将にとっては、光秀を討つ事が、

次の天下人への布石になるのです。

しかし、秀吉は、京都から、200キロも離れた備中、

現在の岡山県西部で、毛利の武将、清水宗治が籠城する

高松城を水攻めしている真っ最中でした。

 

当時の常識で考えると、秀吉が京都に戻るには、

最低半月は掛かる計算になります。

もちろん、明智光秀もそのつもりで、戦の準備をしていました。

しかし、秀吉は、光秀の想像を遥かに超える、たった3日で、

京都まで戻ってきたのです。

 

現れる筈のない秀吉軍に驚愕した光秀の軍勢は、山崎の合戦で大敗し、

光秀も名もない落武者に首を討たれて戦死します。

 

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どうして、そんな神技が出来たのか?

 

話で説明するのは、簡単ですが、どうして、秀吉にはそんな神技が

可能だったのでしょうか?

 

それは、秀吉が信長が死んだという情報を受け取るや、すぐに、

敵将の清水宗治と和睦して、これを切腹させ、即座に軍を

引きかえさせたという行動の早さにあります。

 

さらに、秀吉は、京都に至るまでの全ての織田勢力の城に伝令を出し、

金銀を出させ、周囲の村人総動員で、大軍の食事の用意をさせました。

 

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大返しとは、鎧も兜も脱いで、京都まで兵士を走らせるマラソン

 

 

そして、兵士の方は、重い鎧兜を脱ぎ、軽装になると、

ひたすら、沿道で食事と水の補給を受けながら、京都に向けて走りました。

総延長200キロの、大マラソン大会です。

 

確かにこれなら身軽です、しかも、秀吉は兵士に沢山の給料を払い

士気を高め、光秀を破ったら、さらに恩賞を弾む事を約束します。

秀吉軍の兵士の中には、小便の時間も惜しいと走りながら、

放尿する人間まで居たと言われます。

 

多い時には、一日70キロを走破するという驚異的な速さで、

京都に戻った秀吉は、現地で鎧兜を着て、光秀を撃破したのです。

 

孟達を滅ぼした、司馬懿(しばい)の大返し

 

孟達 司馬懿

 

さて、一方の司馬懿にも、大返しの記述があります。

それは、西暦228年、荊州の上庸で蜀の諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)

誘いに乗って寝返りった孟達(もうたつ)を滅ぼした、上庸大返しとも言うべきものです。

 

魏に寝返ったものの、曹丕(そうひ)の死後、冷遇された孟達・・

孟達

 

孟達は、元々は蜀の武将ですが、関羽(かんう)の窮地に兵を送らずに見殺しにした

という事で、劉備(りゅうび)の怒りを受けて殺される所を魏に降った人物です。

 

曹丕

 

孟達は、曹丕(そうひ)に気に入られ、よい待遇を受けますが、曹丕の死後は、

他所者として、魏の重臣に白眼視され、自分の扱いに不安を覚えていました。

 

その孟達の心の隙間を突いたのが諸葛亮孔明です。

 

「今、蜀に寝返れば、過去の罪を帳消しにして重く用いる」

 

そう言われて、心が動いた孟達は、再寝返りを考えます。

それを知った司馬懿は、孟達を油断させる為に、手紙を出します。

 

「世間では、あなたが孔明に寝返るという噂が出ているが、

皇帝も、魏の重臣もそれを信じるモノはいないので安心しなさい」

 

こうして、孟達を油断させる一方で、司馬懿は軍を急がせます。

 

油断する孟達は、備えを怠り戦死する

司馬懿

司馬懿の手紙で、寝返りがばれていないと考えた孟達は、

安心して、反応が鈍くなります。

 

孔明から、早く行動を起し洛陽を衝く準備をしろと催促されても・・

 

「司馬懿のいる洛陽から、上庸までは1カ月は掛かります。

そんなに焦らなくても大丈夫です」

 

と呑気な返事を返して、孔明をイライラさせています。

 

しかし、司馬懿は、その間も昼夜兼行で軍を走らせていました。

そして、1カ月の4分の1、たった8日間で、上庸に辿りついたのです。

孟達が驚愕したのは言うまでもありません。

初動を誤った孟達は、城を包囲され、仲間にも離反されて、

司馬懿により城は開城、孟達は首を斬られたのです。

 

まさに、兵は拙速を貴ぶを地で行った司馬懿の手により、

孔明の作戦は、失敗に終わったのでした。

 

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真田丸ライター kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

司馬懿がどうやって、兵を通常の4倍以上の速度で動かしたか、

詳しい話は、残っていません。

しかし、事実として、450キロの道のりを8日で移動した

というのですから、一日60キロは走っていた事になります。

何らかの方法を採用したと思いますが、今後の研究待ちです。

 

いずれにせよ、東洋の二人の名将は、敵の意表を突く、

奇抜な進軍によって、それぞれの天下に大きな一歩を記した

という事が言えるのではないでしょうか?

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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