李陵(りりょう)とはどんな人?キングダムの李信を先祖に持つ悲運の将軍【前半】

2016年5月3日


キングダム

 

始皇帝を扱った中国史漫画の金字塔「キングダム」がついに

実写化するそうですね。

最近はアニメ・漫画の実写化が流行っている中、

どのようにキングダムの世界を表現するのか、楽しみですね。

 

キングダム 信

 

キングダムの主人公・李信は農民から活躍し、大将軍となる人物ですが、

彼の子孫がいたのを知っていますか。

彼の子孫は李広(りこう)と言い、漢の名将として活躍した武将です。

李広の孫・李陵(りりょう)も叔父に似て、武勇に秀で「史記」を記した司馬遷(しばせん)

蘇武(そぶ)の友としても知られている人ですが、ある戦いがきっかけで、

非常に厳しい人生を歩むことになってしまった将軍です。

 

写真引用元:キングダム連載十周年 実写特別動画プロジェクト

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



祖父李広の死

 

 

祖父・李広(りこう)は武勇に秀でた名将として人々に知られておりました。

彼が得意としていたのは射術で、弓を射れば百発百中。

矢を石に突き立てるほどの強弓を射ることができるほどの射術の名人です。

そんな彼ですが、漢の大将軍衛青の匈奴討伐軍に参加。

李広は別動隊を率いて、衛青の本体と合流するはずでしたが、

期日に間に合いませんでした。

李広はその罪の責任を取るため、自刃。

幼かった李陵は祖父が自刃して、亡くなったことを聞き、大いに悲しみます。

彼はその悲しみを乗り越え、祖父・李広を超える将軍になるため兵法書を毎日読み、

武術に明け暮れる日々を送ります。

 

建章宮の長官になる

信 キングダム

 

武帝は李広の孫である李陵を宮殿に呼びつけます。

李陵は宮殿に出向き、武帝に拝謁します。

すると武帝は「お前を建章宮(けんしょうきゅう)の長官に任命する。

今後も励め」と伝えられます。

建章宮の長官とは皇帝の宮殿を守る隊長の事で、騎兵を主に率います。

彼は長官の職に励み、部下をしっかりと掌握し、

規律正しい軍勢を率い、武帝に職務に励んでいることをアピールします。

武帝は李陵が率いる騎馬隊の規律正しさに喜び、

「さすが李広の孫だ。李家は代々将軍を輩出する家柄である。」と

側近に語ります。

 

関連記事:李広(りこう)とはどんな人?「飛将軍」と呼ばれた男は李信の子孫であった!?

関連記事:【キングダム】李牧(りぼく)とはどんな人?趙国最後の守護神・三大天

関連記事:秦国の六虎将軍・李信の妻となるのは誰かを大胆予想!羌瘣?それとも河了貂か?

 

護衛長官から軍人の道へ

 

 

李陵は建章宮の長官の任をしっかりと行い、毎日の仕事に励みます。

武帝は李陵をすっかり気に入り、彼に「匈奴の様子を偵察して来い」と

新しい任務を彼に与えます。

そして武帝は彼に騎兵隊を与え、すぐに向かうように伝えます。

李陵は祖父・李広のように軍人になりたかった為、この任務を非常に喜びます。

 

武帝ミッション:匈奴の地の探索

 

 

李陵は武帝から与えられたミッションを完遂するため、すぐに準備を整え出発。

彼は居延(きょえん)から匈奴の地に侵入をします。

この地から2千里(現在のキロ数で表すと800キロほど)を偵察し、帰還します。

彼は匈奴の暮らしぶりやかの国の軍隊の様子など詳細なデータを記し、

武帝に調査報告書を提出。

武帝は李陵が持ち帰った匈奴の調査報告書の内容が詳細に記されていることに

満足し、彼を近衛隊の騎兵隊長に任命。

漢の西の地域の守備を命じます。

彼はこの地で兵士をしっかりと訓練し、攻撃を仕掛けてきた匈奴軍を幾度か打ち払い

武功を挙げます。

 

武帝に進言

 

 

李陵は漢の西方守備の任務が終わると漢の首都長安へ帰還します。

彼は帰還後、武帝に任務報告を行います。

武帝は彼の任務報告を聞き終わると「李広利(りこうり)を来年匈奴の地に侵攻させる。

お前は李広利軍が使う物資を輸送せよ」と命令。

李陵はこの命令に真っ向から反対します。

彼は「私の部隊は厳しい訓練を潜り抜けてきており、輸送の任には向きません。

それよりも別動隊として出陣し、李広利将軍に匈奴軍が集中しないようにしたいと

思います。」と進言。

武帝は「私の命令が聞けないのか」と怒りをあらわにします。

李陵は武帝の怒りを受けながらも食い下がります。

 

武帝との約束

 

 

武帝は李陵が食い下がってくるので、漢軍の状況を彼に説明します。

李陵は漢軍の状況を聞いても一歩も引かず、武帝に「出陣させてほしい」と懇願。

武帝は李陵に「騎馬隊はすべて李広利に回し、お前に騎馬隊を回す余裕はない。

砂漠での戦で騎馬がなければ匈奴と戦うことなどできまい。

それでも戦えるのか」と李陵に伝えます。

彼は「わが軍に騎馬がなくても、わが兵士たちは射術に優れ、百発百中です。

弓隊と歩兵合わせて5千ほどあれば、

匈奴軍と戦い勝利を得ることができると思います。」と強気の姿勢を崩しません。

武帝は「お前、今の言葉に嘘偽りはないな」と念を押します。

彼は「もちろんでございます。」とはっきりと答えます。

武帝は彼の懇願を受け入れ、5千の兵を与え、出陣させることに決めます。

こうして李陵は軍勢を率いて、居延から匈奴(きょうど)のいる砂漠へ出陣します。

 

 

 

李陵(りりょう)は自ら志願し、居延(きょえん)城から匈奴の地へ遠征を開始。

彼が率いる兵士は精強と言われる楚の地方から集めた歩兵5千、

それに大量の食糧や武器を運ぶ輸送隊です。

匈奴軍は騎馬で編成されている部隊が多いため

当時砂漠に出て匈奴軍と戦うときは騎馬隊で戦うか、もしくは騎馬隊+歩兵の

混成部隊が基本でした。

しかし李陵は漢の騎馬隊が少ないこともあり、

歩兵を主力として匈奴軍と戦うことになります。

 

匈奴の主力軍に包囲される

 

 

李陵は居延城を出て砂漠を進むこと千里(現在のキロ数に換算すると400キロ)。

ついに最初の目的地である東俊稽山に到着します。

この地で幕舎を張り、休憩します。

翌朝幕舎を出ると彼の陣の周りを匈奴の単于率いる軍が包囲。

李陵は少し驚きますが、慌てず騒がず冷静に対処します。

まず、輸送に用いてきた車の半数を分解し、

本陣の周りに簡易ですが防御工事を施します。

本陣工事を終えた李陵は自ら半数の兵を率いて防御工事を行った本陣を出て、

迎撃の陣を敷き、決戦態勢を整えます。

 

東俊稽山(ひがししゅんけいざん)の戦い

 

 

匈奴軍は3万の軍勢を率いておりましたが、

李陵軍の少なさを見て、突撃を開始。

李陵は匈奴軍が馬蹄を響かせ大軍で突撃してくると、

後方の本陣に合図を出します。

李陵の合図を見た本陣の兵は匈奴軍に斉射。

匈奴の騎馬隊は李陵軍の斉射により、甚大な被害を被り、

態勢を立て直すため軍をさげようとします。

李陵は匈奴軍が退却を開始すると、全軍で突撃を敢行。

匈奴軍は李陵軍の突撃を受け、退却していきます。

 

武帝との約束を果たす

 

 

李陵は匈奴軍を退け、部隊の態勢を整えた後、数日間東俊稽山に滞在します。

その間匈奴軍は、李陵の軍に数回攻撃を仕掛けてきますが、

すべて勝利を得ます。

彼は李広利との約束の期日が過ぎたこともあり、退却を開始。

こうして寡兵で匈奴軍を打ち払うことに成功し、武帝との約束を果たします。

 

凄惨な退却行

 

 

李陵は退却を開始すると、匈奴軍からの猛攻撃を受けます。

単于は李陵軍に何回も敗北したため、左賢王と右賢王の軍勢を加え、

総勢8万以上の軍勢で、退却する李陵軍を追撃。

李陵軍は膨れ上がった匈奴軍の猛攻を受けますが、獅子奮迅の働きを見せ勝利を得ます。

こうして匈奴軍と戦い、勝っては退くことを繰り返しながら、

少しずつ退却していきます。

常に戦いながら退却を行っているため、

李陵軍は李陵をはじめとして誰一人傷を負っていないものはおらず、

勝っていながら少しずつ兵数を減らしていくことになります。

 

単于軍との対決

 

 

李陵率いる漢軍は凄惨な退却を行いながら一歩ずつですが、

漢の領土に近づいていきます。

李陵は戦い続けてきた軍を休ませるため、途中で小高い山のふもとで小休止を

行おうとします。

しかしその山上には匈奴軍の主力部隊である単于の軍勢が陣を張って

彼らの軍勢を待ち受けていました。

匈奴軍は李陵の軍勢に対して、山上から逆落としの突撃を開始。

李陵は匈奴軍が攻撃を仕掛けてくるのを見ながら、

周りの地形を冷静に見て、近くに森を発見します。

匈奴軍は騎馬が主体の軍であるため、遮蔽物の多い森などの行軍を苦手としています。

そのため彼は全軍にそこに逃げ込むよう指示を出します。

匈奴軍は森の中に入った李陵軍を追撃しますが、木々に隠れた李陵軍の斉射により、

大損害を出し山の上へ逃げ戻ります。

李陵は匈奴軍の追撃の速度を落とすため、匈奴軍を追撃。

山上にいる匈奴軍に対して大型の弓を斉射。

この斉射により匈奴軍は死者を多く出して退却していきます。

こうして再び勝利を得た李陵ですが、この戦いで多数の兵士が亡くなり、

兵数を減らしてしまうことになります。

 

次回記事:李陵(りりょう)とはどんな人?キングダムの李信を先祖に持つ悲運の将軍【後半】

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-楚漢戦争
-, , , , ,