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王騎将軍は二人いた!キングダムのカリスマの真実

この記事の所要時間: 518




アメトーク キングダム芸人

ついに、アメトークで企画が実現したキングダム芸人!!

 

はじめての三国志でも「キングダム芸人」を更に楽しめるように特別企画を開催!

これを読めば王騎将軍が分かる!

 

キングダムファン向け:キングダムに関する全記事一覧




キングダムの時代っていつ?

始皇帝 はじめての三国志

舞台は三国志(さんごくし)でも、項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)でもない、

始皇帝が天下を取る前という日本では馴染みの薄い春秋戦国時代、

普通なら見向きもされないマイナーなこの時代に、どうしてキングダム読者は熱くなるのでしょうか?

 

それは、物語を彩る、熱い男達のバトルが滅茶苦茶カッコイイから、

三国無双さながらに、雑兵を蹴散らし、火花を散らす武将対武将の

命を張った激突に、読者は心を鷲掴みされるのです。

 

ジ●ジョ風に表現すれば、こう!!!

 

「そこに痺れる、憧れるウッ!!!」

 

さて、そんなキングダムでもダントツの人気を誇る武将と言えば、

言うまでもなく王騎(おうき)大将軍でしょう。

 

関連記事:三国志を楽しむならキングダムや春秋戦国時代のことも知っておくべき!

関連記事:キングダムと三国志の違いって何?時代を追ってみる




秦の王騎大将軍ってどんな人?

大騎 キングダム

 

秦の六大将軍の一人にして最期の生き残り、神速で戦場に現れて、

劣勢を瞬く間に覆し、故に敵には怪鳥と恐れられる男です。

 

この王騎、名将ではあるんですが、

ムキムキの筋肉質でヒゲまで蓄えているのに

唇には真っ赤な口紅を塗り、オカマっぽい口調で口元に手を当てて

「コココ」と笑うある意味、キワモノキャラなんです。

 

しかし、そんな王騎将軍は、いざ戦場となると凄みを発揮して敵を恐れさせ、

味方を引っ張る、頼りになる兄貴(アネゴ?)ぶりを発揮します。

 

王騎将軍:「この死地に力ずくで活路をこじあけます。

皆の背には常にこの王騎がついていますよ」

 

この一言で崩れかけた秦軍は勇気100倍、何度も劣勢を跳ねのけて

敵を粉砕してきたのです。

 

さて、そんな王騎将軍、どうせキングダムだけに登場する

架空の武将だと思っていませんか?

 

いえ、これが面白い事にちゃんと実在するのです。

王騎は史実に存在していた

秦 王騎

 

王騎について記したのは、あの前漢時代の歴史家、司馬遷(しばせん)です。

おっ、ちょっとだけ三国志に近づいてきましたね(笑)

 

関連記事:誇りを失ってもなお……『史記』を書いた司馬遷の執念 

 

王騎将軍の履歴は秦始皇本紀に記されている

三国志 邪悪

 

王騎将軍は、秦始皇本紀に出てきます、折角ですからその履歴を書いてみます。

 

・紀元前257年(昭襄王50年)、趙の邯鄲を包囲した

・紀元前247年(荘襄王3年)、 韓の上党を攻めて太原郡をおいた。

・紀元前246年(秦始皇元年)秦王政が即位すると蒙驁(もうごう)

麃(ひょう)公と共に将軍に任じられる

 

・紀元前244年(秦始皇3年)同僚の蒙驁が韓を攻め十三城を取るも同年に死没。

 

はい以上です、王騎将軍に関する記述はこれだけ、、

あんまりにも、寂しいですよね?これで、天下無敵の将軍は話を盛り過ぎです。

 

 

王騎の同一人物、王齕(おうこつ)ってどんな人?

かわうそ 不思議

 

しかし、面白い事に王騎と同一人物だったかも知れない王齕(おうこつ)

という将軍も歴史には確認されています。

 

彼の略歴は、秦本紀に書かれ、秦始皇紀には登場しませんが、

その内容は、王齕よりも、もう少し複雑で多彩です。

 

・紀元前260年(昭襄王47年)趙を討って上党を取った

趙も反撃してきたので、秦は内密に白起(はくき)を増援させて上将軍とし、

王齕をその副将とした、長平の戦いでは、趙を大いに破った。

 

・紀元前259年(昭襄王48年)白起に代わって将として趙の武安君を討ち皮牢を取る。

・紀元前258年(昭襄王49年)王陵(おうりょう)が趙の邯鄲を攻めて増軍した

戦況が思わしくないので王齕が代わって将となる。

・紀元前257年(昭襄王50年)、邯鄲を攻めたが落とせないので、

汾(ふん)城郊外の秦軍と合流した。その後、魏を攻め首を斬ること6千名

魏軍は敗走し、黄河で2万人が流れ死んだ、汾城も攻め落とし

張唐(ちょうとう)に従って寧新中(ねいしんちゅう)を抜いた。

・紀元前247年(荘襄王3年)、韓の上党を攻めて、太平郡をおいた。

魏の信陵君が五カ国連合軍を率いて秦を攻めてきたのを蒙驁と迎え撃ったが敗れた。

秦軍は河内から河外(河南の地)に退却し、その軍を解散した。

 

【次のページに続きます】



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