この記事の目次
- 1ページ目
- 若くして曹丕の跡を継ぐ
- 父に殺された母を祀る
- 呉軍が攻め込んでくるも的確に状況を判断して対応
- 蜀の丞相・諸葛孔明との戦いその1:魏の孟達に調略を仕掛けてくる
- 2ページ目
- 蜀の丞相・諸葛孔明との戦いその2:自ら長安に赴く
- 蜀の丞相・諸葛孔明との戦いその3:曹真・張郃のコンビが蜀軍を打ち払う
- 曹真の進言を取り上げる
- 蜀へ攻撃をかけるが…
- 司馬懿に軍権を与えて、蜀軍迎撃に当たらせる
- 3ページ目
- 呉・蜀同時進行戦その1:蜀の攻撃を司馬懿に防がせる
- 呉・蜀同時進行戦その2:呉軍への対応は皇帝自ら行う
- 呉・蜀同時進行戦その3:孔明が亡くなった事で、蜀軍も撤退を開始
- 北伐が行われなくなると…
- 遼東討伐を命じる
- 皇帝曹叡も若くして亡くなる
- 曹魏滅亡へ傾いた原因その1:曹叡の寿命が短かった
- 曹魏滅亡へ傾いた原因その2:土木事業が短期間で終わってしまった
- 三国志ライター黒田廉の独り言
蜀の丞相・諸葛孔明との戦いその2:自ら長安に赴く
蜀の諸葛孔明は孟達(もうたつ)の寝返りに失敗すると大軍を率いて、魏の領土に侵攻してきました。曹叡は魏の領土を守るため、曹真(そうしん)に魏の勇将・張郃(ちょうこう)をつけて蜀軍迎撃に向かわせ、自らは長安に赴き、この地方の動揺を鎮める事に腐心します。
蜀の丞相・諸葛孔明との戦いその3:曹真・張郃のコンビが蜀軍を打ち払う
曹真は曹叡から軍権を預けられ蜀軍迎撃に出陣すると、張郃に先鋒を任せ、自らは後方に駐屯して蜀軍に対応できるように指揮。張郃(ちょうこう)は蜀軍が街亭近辺の小高い山に陣取っていると知ると全軍で包囲し、蜀軍が陣取っている山の水を補給できないようにします。
蜀軍は水が補給できなくなると、全軍で山を下ってきますが、張郃は見事に蜀軍を撃破し、孔明の第一次北伐に勝利を収めます。曹叡はこの報告を聞くと大喜びし、曹真に大司馬の位を授けて大いに褒め称えます。
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曹真の進言を取り上げる
曹叡は蜀軍北伐の功績者である曹真から「蜀軍は連続で攻撃を仕掛けており、蜀の国は疲れているはずです。今こそ大軍を率いて蜀へ侵攻するべきです。」と進言。曹叡は彼の進言を聞くと少し考えた後、「分かった。蜀を見事に討伐して来い!!」と彼に大軍を与えて出兵を許可します。
蜀へ攻撃をかけるが…
曹真は曹叡から出陣の許可を貰うと、司馬懿(しばい)・張郃ら歴戦の諸将を従えて、3つの道から蜀へ攻撃を仕掛けます。こうして魏の国始まって以来の大規模作戦を発動させましたが、漢中を中心とした大雨が降った事によって、魏軍は蜀の国土を進んでいく事が困難になっていきます。曹真はこの大雨によって当初の進軍予定より大幅に遅れて、半分未満しか進めませんでした。
魏の行軍速度が遅々として進まない事に危険を感じた魏軍の幕僚達は、総大将である曹真へ「総大将。このままでは蜀と戦う前にこちらが疲弊してしまい、蜀軍に勝利する所か敗北する可能性もあるでしょう。わが軍に損害が出ていない今、速やかに撤退なさるべきです。」と提案します。曹真はこれらの意見に反対をしておりましたが、漢中を中心として降った雨は、全く止むこと気配を見せず、ついに曹真は撤退を決意。
こうして一切戦果を挙げずに撤退することになった曹真は、撤退途中で病にかかってしまいます。曹真は長安に病にかかりながらもなんとか撤退してきますが、その後病が回復する事無く、亡くなってしまいます。
司馬懿に軍権を与えて、蜀軍迎撃に当たらせる
曹叡は曹真が亡くなると、司馬懿に蜀軍迎撃の総司令官として任命し、孔明が魏の領土に侵入してくると、彼に出陣させます。司馬懿は孔明に挑発され蜀軍に決戦を挑みますが、大敗北をしてしまいます。しかしその後は守りを固くして蜀軍を見事に迎撃していきます。
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