秦の『人材』を分析!どうして秦が中華統一することができたのか?

2017年1月3日


 

 

秦が天下統一することができたのは法律家である商鞅(しょうおう)の法の改革によって、

秦の従来の法を撤廃して新たな法律を制定します。

この新法によって秦の国力は大幅にアップし、中原にある他の6国を凌駕する力を手に入れます。

しかしこの力を使うことのできる人材が秦に育っていたなかったこともあり、

秦は中々他の6国を滅ぼして行く事ができませんでした。

だが秦の昭襄(しょうじょうおう)の時代になると二人の人物が秦の国力を上手く運用して、

他の6国を圧倒していくことになります。

今回は秦の天下統一の第二段階となる人材編を紹介します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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昭襄王の出現と一人の宰相

 

昭襄王は秦の武王が力持ち比べをした際に事故って亡くなってしまいます。

その後宣太后(せんたいごう=恵文王の奥さん)の息子で燕で人質となっていた昭襄王が

秦王として擁立されることになります。

この時昭襄王を秦王へするべきであると彼を指示したのは宣太后の甥である魏冄(ぎぜん)です。

彼は非常に優秀な人材であり、宣太后の夫である恵文王の時代から秦の国政に関与し、

恵文王・武王と二代の秦王に仕えた逸材です。

そして彼が昭襄王を擁立したことによって秦は天下統一の第二段階へと進むことになります。

 

 

 

宰相へと登る

 

昭襄王は戦国四君として有名な孟嘗君(もうしょうくん)田文率いる連合軍に秦が大敗を喫すると、

当時の宰相であった楼緩(ろうかん)が敗北の責任を追って宰相の位を追われることになります。

そして魏冄が秦の宰相へ登ることになり、秦の国政の最高責任者として君臨することになります。

 

秦の天下統一への道を開いたもうひとりの人材

 

魏冄は宰相として国政を預かることになると、

秦の国力を軍事へかた向けて他国を征伐することによって、秦の国土を広げようと考えます。

そのためには優秀な人材が必要であるため、彼は秦の国内でうもれている人材がいないか

探し始めます。

すると彼の目に一人の人材が目にとまります。

 

白起(春秋戦国時代)

 

その名を白起(はくき)と言います。

魏冄は白起を将軍に仕立てて軍勢を与え、色々な戦場へむかわせます。

すると彼は一度も負けずに戦いに勝利していくことに。

そして魏冄は前々から考えていた計画を発動しようと考えます。

 

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韓・魏討伐戦

 

魏冄は秦の隣国にあって秦に敵対している韓と魏を討伐するため自らが総大将となって、

進行することを決めます。

この結果秦は韓の城を陥落させ、魏の城も奪うことに成功します。

しかし魏と韓は連合軍を形成して秦に奪われた城を奪還する作戦を開始。

この時魏冄は白起を連合軍迎撃軍の総司令官として任命し出陣させることにします。

白起率いる秦軍は連合軍よりも兵数において少なかったため、ある作戦を実行。

その作戦は連合軍を各個撃破していく作戦です。

まず白起は韓軍に対して一部の秦軍の兵力をもって足止めさせている間に、

魏軍へ猛攻をかけて壊滅させます。

そして残った韓軍に対して秦軍の全勢力を傾けて猛攻仕掛けた結果、

韓軍は大敗北を喫して退却していきます。

白起は連合軍を打ち破った勢いをもって両国に対して攻撃を継続して行い、

魏の2城と韓の2城を奪う大戦果を収めます。

韓と魏はこのままでは秦に国土を奪い尽くされてしまうと考えて、

秦と和睦することにします。

この時韓は武遂(ぶすい)と呼ばれる都市を中心として約87キロを割譲することで和睦が成立。

また魏は河東(かとう)と呼ばれる都市を中心として約174キロを秦へ割譲することで、

和睦が成立します。

魏冄と白起のコンビによって秦の国は他国を圧倒していくことになり、

秦が天下統一する動きが加速していくことになります。

 

楚を脅迫して無理やり同盟を結ぶ

 

魏冄(ぎぜん)は魏と韓の領地を割譲させることによって、

一時的に両国から申し入れがあった和睦を受け入れることにします。

彼は和睦を受け入れた後、秦と同等の国土を有している南方の超大国である楚へ目を向けます。

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この超大国に対して魏冄は楚の王様を脅して、秦と盟約を結ぶように迫ります。

すると楚は秦に屈服する形で同盟を結ぶことになり、秦の昭襄王の娘を娶ることになります。

こうして南方からの驚異を取り除くことに成功した秦は、

韓と魏の和睦協定を破棄して攻撃を開始します。

 

秦の快進撃を止められない韓と魏

 

秦は魏冄の命令によって韓と魏の両国との和睦を破棄して攻撃を再開します。

この時秦の軍勢を率いていた総司令官はもちろん魏冄の相棒・白起(はくき)です。

彼は魏冄の指示によって韓の城を陥落させるように命令を出します。

すると白起は命令を受け取ってからすぐに進撃して、

いとも簡単に韓の数城を陥落させることに成功します。

その後白起は魏へ移動して攻撃を行うと大小合わせて61もの城が秦の物になってしまいます。

この間魏と韓は各々迎撃軍を出陣させますが、秦の白起の攻撃を止めることができませんでした。

こうして秦を中心として中華は回り始めることになります。

 

天下統一の機運が高まった二ヶ月

 

秦はこうして他の6国を圧倒する力を全国に見せつけることに成功します。

秦の宰相として活躍していた魏冄は他国よりも秦の国が上位の存在であることを認識させる為、

「帝」の位を用いようと考えます。

彼は趙を滅ぼして北方を平定しようと考えていた為、

東方の超大国である(せい)と同盟を締結します。

この時に帝の位を用いて、

秦を「西帝(せいてい)」・斉を「東帝(とうてい)」の位を用いようじゃないかと提案します。

斉の湣王(びんおう)は魏冄の提案を受け入れて東帝と称します。

始皇帝が帝の位を用いる前に実は中国には二つの帝が誕生していたのでした。

しかしこの帝を用いた期間はたったの二ヶ月で終了することになります。

その原因は湣王の臣下である蘇代(そだい)の反対意見を聞き入れ、

帝と名乗ることをやめたことにより、秦も帝の位を用いることを止めます。

しかし秦が「帝」の位を用いたのは天下統一を目指していることをはじめて天下に表したとされ、

非常に重要な事件とされております。

 

趙・楚と同盟を結んで斉へ攻撃を仕掛ける

 

秦はその後、趙と楚の二国と同盟を結んで東の超大国である斉へ攻撃を仕掛け、

秦は斉の9城を攻略します。

そして翌年燕を中心とした連合軍を形成し、

燕の楽毅(がくき)を連合軍の総大将として各国は斉へ攻撃を仕掛けます。

秦は連合軍側として参戦し、斉軍を済西(さいせい)の戦いで撃破すると城を攻略することを止めて、

秦へ帰国することになります。

その後燕軍によって斉は壊滅的なダメージを負うことになり、

秦の一強時代が到来することになります。

 

無敵のコンビにヒビが入る

 

魏冄は宰相として秦の国政を預かること数十年、

何回か宰相の位を追放させられてしまう事がありましたが、その都度復活していたので、

「フェニックス魏冄」と各国からあだ名が付きます。

また彼が宰相として秦の内政を見ている間は国内に乱れがなく、

スムーズに国政が行われておりました。

さらに彼は内政を見るだけにとどまらず、軍事の能力にも優れておりました。

彼は秦の軍勢を率いて魏の首都である大梁(たいりょう)を二度も包囲しております。

こうして文武共に優れた宰相と彼が見出して将軍となった無敵将軍である白起のコンビによって

秦は一強状態の地位を確立することに成功します。

しかしこの無敵のコンビに危機がヒタヒタと忍び寄ってきていました。

 

昭襄王が魏冄に不満を持つ

 

秦の王である昭襄王(しょうじょうおう)は魏冄(ぎぜん)の行いに微かな不満を持っておりました。

その原因は魏冄が自らの領土を拡大するために斉へ攻撃をしかけたことです。

この戦いは勝利することができましたが、

秦の領土は増えたわけではなく魏冄の領地が増えただけでした。

昭襄王はこのことに対して魏冄本人に不満をぶつけようかと考えましたが、

今や秦の政治と軍事両方のトップとして君臨している魏冄に対して、

昭襄王は文句を言うことはできませんでした。

 

宦官から一人の人物を紹介される

 

昭襄王の奥を取り締まる役目を持っている宦官から一人の人物を紹介されます。

しかし彼はあまり興味なく、宦官の言葉を放置しておりました。

その後彼は宦官が紹介してくれた人のことをすっかりと忘れておりましたが、

ある時その人物から手紙きます。

その手紙には「明君と言われる君主はみな能力あるものを積極的に登用して、

国政に参加させております。

今私が王に登用されないのは王と会見していないからだと考えます。

まさか宦官から紹介されたから私と合わないと思われている王ではありますまい。」との

内容でした。

この手紙を見た昭襄王はこの客の事が気になり、ついに彼を宮中へ呼び寄せます。

この客の名は范雎(はんしょ)と言います。

 

范雎を採用する

 

昭襄王は范雎を呼び寄せます。

范雎は宮中へやってきて少しの間待っていると宦官が「王のお出ましである。」と大声で叫んだ後、

昭襄王がやってきます。

そして昭襄王と会見することになった范雎ですがいきなり王に対して

「秦には王はいますまい。他国にとって驚異なのは秦の穰公(じょうこう=魏冄のこと)と宣太后

だけが脅威であり、王は驚異として写っていないでしょう」と

その場で処刑されてもおかしくない事を淡々と述べます。

この言葉を聞いた昭襄王は大いに彼を気に入り、

「先生すまない。私があなたと早くに合っていればと後悔している」と述べた後、

手を取って奥に案内して、二人で政治や軍事に関して色々と意見を言い合います。

こうして范雎を気に入った昭襄王は毎日彼を読んで色々な話を行うことにします。

 

魏冄が宰相の位を追われ、秦の天下統一事業の第二段階が終幕を迎えつつある

 

魏冄は昭襄王が范雎と呼ばれる人物を気に入っていることを知らずに各国へ攻撃を仕掛けて、

秦の領土を確実に拡大させながら、自らの領地も治めておりました。

魏冄が外で活躍している中、

秦の首都咸陽では昭襄王と范雎が今後の政策について語っておりました。

この時范雎は昭襄王へ「君主が臣下に政治を任せてばかりいると西周のように、

国が滅亡することになるでしょう。今秦の国内はすべて穰公が支配している状態で、

王様一人が孤立している状況です。

このような状況に身を置いている王を密かに恐るとともに嘆いております。」と現状を説明します。

この発言を聞いた昭襄王は魏冄の権力の高さを知り、彼を宰相の地位から追い出すことにします。

また宣太后の一派とされる者たち全員を咸陽から追放。

そして昭襄王は新たな秦の宰相として范雎を任命します。

こうして秦の一強時代を作り上げた宰相魏冄の独裁時代は終幕を迎えることになると共に、

秦の天下統一事業の第二段階も終幕へ近づいていきます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

キングダムでは幾度か秦の国は危機的状況を迎えており、

次の展開にハラハラとドキドキを味わうことができます。

しかし魏冄と白起の無敵コンビの時代にはそのようなハラハラとドキドキ感はなく、

秦が攻撃を仕掛ければ圧倒的に敵国の軍勢を破って大勝利を治めておりました。

また昭襄王が本気を出して中華統一事業に乗り出していれば、

秦の始皇帝が出現する前に天下を統一することができたのではないのでしょうか。

もし天下統一できなかったとして、戦国七雄の中の何国かは滅亡していたかもしれません。

「今回の秦のお話はこれでおしまいにゃ

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ~」

 

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