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【週間まとめ】はじめての三国志ニュース34記事【2/6〜2/12】




はじめての三国志2月週間

 

はじめての三国志では毎日コンテンツが掲載されています。

今週(2/6〜2/12)に掲載された記事をピックアップ!

はじめての三国志編集部が1週間分の情報をお届けします!

週末、時間が空いた時にゆっくり読んでみてはいかがでしょうか?

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら




今週(2/6~2/12)のまとめニュース

2/6のおすすめ記事


張角 ゆるキャラ 黄巾賊 三国志

 

・【怪しげな宗教団体】どうして多くの民衆が太平道に参加したの?

 

三国志の幕開けとなる黄巾の乱。

この宗教反乱は太平道と言われる宗教団体が各地で民衆をかき集めて起こした反乱です。

しかしどうしてこの世間的にはほとんど無名である太平道と言う怪しげな宗教団体に

民衆達は参加したのでしょうか。

ここでは太平道がどうしてあんなにも多くの民衆を集めることができたのかについて、

レンの考察を交えながら考えてみたいと思います。

 

蒙恬

 

・【秦の次世代を期待された二人】蒙恬と扶蘇の無念な最期

 

秋戦国時代の最後を飾る秦王・政の時代。

彼は戦国七雄を滅ぼし天下統一を成し遂げます。

彼の配下には以前の春秋戦国時代の名将と言われる白起楽毅などの将軍はいませんでしたが、

それなりに優れた将軍が多数いました。

秦の国で三代に渡って忠誠を尽くしてきた蒙一族。

彼らの中で一番活躍したのは蒙武と言う武将でしょう。

 

山中幸盛 wiki

 

・毛利家に敗北して浪人となった山中鹿之助の修行

 

山中鹿之助(やまなかしかのすけ)は尼子家の家臣で、

初陣を果たした後、出雲へ侵攻を続けている毛利軍と幾度も戦い勝利を収めております。

その勇猛さと知略を讃えられて「出雲の麒麟児」として呼ばれることになります。

だが鹿之助の奮戦虚しく、尼子氏は毛利家に降伏することになります。

そして鹿之助は滅亡した尼子再興を誓い、

自らの軍略に磨きをかけるべく浪人となって諸国を回ることになります。

 

于禁と兵士

 

関羽に降伏した于禁は本当に臆病者だったの?

 

魏の六大将軍の一人として知られる于禁(うきん)は、その最期の最期に

樊(はん)城を攻めていた関羽(かんう)に降伏した事で臆病者のレッテルを

貼られました。

しかし、戦乱の時代、力及ばず降伏するのは決して恥でも卑怯でも無かったのです。

では、どうして于禁は臆病者呼ばわりをされたのでしょうか?

 

2/7のおすすめ記事


王賁

 

・【キングダム】王賁の子孫はついに○○になっちゃったってホント!?

 

キングダムの王賁(おうほん)。

彼の子孫は三国志の時代にも活躍し、司馬炎(しばえん)が統一した晋王朝でも重鎮として成功。

さらに彼の子孫は司馬炎の晋王朝が滅亡して、

江南に建国した東晋王朝でも国を支えた名臣として歴史に名を留めています。

一体彼の子孫はどんだけ活躍してんだとお考えのはじさん読者も多いと思いますが、

ついに王賁の子孫は○○になるほどの人物が出現することになります。

 

呂布 最強 曹操

 

・【皇帝から手紙を受け取る呂布呂布は朝廷に従順な姿勢を見せていた!?

 

「人中の呂布(りょふ)・馬中の赤兎(せきと)」と評された三国志一番の強さを誇っていた呂布(りょふ)。

彼は董卓(とうたく)を殺害した後に各地を放浪した後、

陳宮と一緒に兗州(えんしゅう)で曹操の部下達を誑かして対決することになります。

曹操軍とは一進一退の戦いを続けていた呂布ですが、

兵糧不足が原因で曹操軍に敗北して敷いまい徐州(じょしゅう)へ逃亡。

 

真田丸 武田信玄

・武田信玄の死と勝頼の武田家継承の謎

 

武田信玄は大軍を率いて本拠地である甲斐(かい)を出陣して西上作戦を決行。

この時信玄の四男である武田勝頼(たけだかつより)も父に従って進軍を開始します。

彼は武田本隊の筆頭として位置づけられて戦うことを命じられます。

さて信玄最後の作戦となった西上作戦で勝頼はどのような活躍を見せるのでしょうか。

 

法正と劉備

 

・蜀建国以前に劉備に仕えた歴代の軍師・参謀役を徹底紹介!

 

蜀が建国されるのが西暦221年のことです。

蜀は西暦263年に魏に攻め滅ぼされますが、

この期間に「軍師」と呼ばれる活躍を見せるのは「諸葛亮孔明」ただひとりでしょう。

もちろん諸葛亮孔明は西暦234年の五丈原の戦いで病死しています。

その後の三十年間は、諸葛亮孔明の遺志を継いだ蒋琬費禕姜維などが協力して蜀を引っ張りますが、

軍師とはまた違った働きようだったと思います。

今回は蜀建国以前に劉備に仕えた軍師・参謀役について触れていきます。

 

朝まで三国志 劉備 呂布

 

・どうして劉備は呂布を胡散臭いと思ったの?

 

宿敵・曹操(そうそう)とは別の意味で不倶戴天(ふぐたいてん)の仲である

劉備(りゅうび)と呂布(りょふ)、劉備からすれば呂布は、棚ボタで得られた

徐州牧(じょしゅうぼく)の地位を奪われた憎っくき相手でした。

事実、呂布が曹操に捕まり、そこでも媚びだした時には、劉備が呂布を罵倒して

呂布が縊り殺される切っ掛けを造っています。

しかし、劉備が最初から呂布を警戒していたわけでもない事もまた事実、

では、劉備はいつ、呂布を胡散臭いと思ったのでしょうか?

 

 

2/8のおすすめ記事


張遼・楽進・李典

・【魏の名将五人衆】 五大将軍に数えられる武将たち

 

強い組織にはやはり優れた将器を持った人物が揃っているものです。

それらをまとめて「四天王」と呼んだりするのは戦国時代の共通項でもあります。

大人気アニメワンピースでも「四皇」やら「七武海」など強者をひとくくりにして呼んでいますね。

もちろん、そこに入るためには、やはり武勇だけでなく周囲を納得させる実績も必要になります。

 

袁術 呂布

 

・【曹操の妨害工作】呂布と袁術の同盟を曹操は恐れていた!

 

脳みそ筋肉のきまぐれ裏切り男の呂布(りょふ)と、場あたり的で狡賢い

うぬぼれ屋、コンプレックスが強い袁術(えんじゅつ)。

曹操(そうそう)に比較すれば、まるで及びもつかないように見える両者ですが、

領地が徐州と揚州で隣り合っていたので、常にくっつく恐れがありました。

曹操は両者が同盟を結ぶのを恐れ、妨害工作をしています。

さて、どのような事をして妨害し、その結末はどうなったのでしょうか?

 

司馬懿

 

・【シミルボン】衝撃!司馬懿の首は本当に180度回った?

 

三国志の勝者は、曹操(そうそう)でも孫権(そんけん)でも

劉備(りゅうび)でもありません。

実は、三者とも中華統一の夢半ばで倒れ、その大事業は魏を纂奪した

晋の武帝司馬炎(しばえん)によって西暦280年に達成されました。

この司馬炎の祖父こそが、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)と

北伐で対峙した司馬懿仲達(しばい・ちゅうたつ)です。

それは、さておき、彼には、首が180度回るというエクソシストな逸話があります。

果たして、それは事実なのでしょうか?

 

後藤又兵衛 wiki

 

・大阪冬の陣では後藤又兵衛はどんな活躍をしたの?

 

後藤又兵衛基次(ごとうまたべえもとつぐ)は大阪城へ入城すると

真田信繁(さなだむぶしげ=幸村)や長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)、

毛利勝永(もうりかつなが)、明石全登(あかしたけのり)らとともに五人衆と呼ばれることになります。

これら五人衆は皆戦上手で知られており戦いに関してはプロ集団の五人で、

大阪城を巡る戦いでは最前線に出て戦いを行っていくことになります。

大阪冬の陣が勃発すると又兵衛は激戦地に赴くことになります。

 

袁紹VS公孫瓚

 

・英雄記から見た河北の覇者を決める公孫瓚VS袁紹

 

公孫瓚(こうそんさん)と袁紹(えんしょう)は河北の覇者を決めるべく戦を繰り返し行ってきました。

その中でも最大の戦いと言える界橋(かいきょう)の戦い。

今回はあまり有名ではないが非常に重要であった界橋の戦いをご紹介していきたいと思います。

 

孔明

 

・蜀を制圧したばかりの劉備軍をまとめるために孔明が打ち出した二つの方針とは?

 

益州を攻略したばかりの劉備軍は政権としては不安定なものでした。

その原因は益州を攻略してまだ日が浅かった事と劉璋(りゅうしょう)に属していた家臣団と

劉備軍の家臣団をどのように協力させていくかの方針が固まっていなかったからです。

劉備軍の天才的行政能力を持った諸葛孔明はいくつかの方針を打ち出して、

益州政権を強固なものにしようとします。

 

真田丸02(武田信玄)

 

・武田信玄の最強の敵!?武田家を揺るがす大事件を勃発させた武田義信

 

後継者問題は三国志でも非常に重要かつデリケートな問題で、

魏の曹家では曹操の跡をめぐって曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)が激しくぶつかり合い、

曹家は一時的にですが後継者を巡った問題で沸騰したことがありました。

戦国時代でも家督相続は重要な問題で、

この問題でこじれれば家が真っ二つに割れてしまうことがあります。

今回紹介する武将は家督相続の問題ではないですが、

ある大名家を揺るがす大事件を起こした人物です。

その名を武田義信(たけだよしのぶ)と言います。

 

劉邦おんぶ 優秀な人材

 

・周昌(しゅうしょう)とはどんな人?高祖劉邦や配下達から信頼を置かれた古参の臣

 

前漢初代皇帝である高祖・劉邦には多くの家臣がおりました。

彼の配下には智謀の士と言われる陳平や張良

兵を指揮させたら誰にも負けない自信家・韓信など多士済々でした。

そんな劉邦の家臣の中で誰に対しても言葉を選ばず直球で語る人物がおりました。

彼の名を周昌(しゅうしょう)といいます。

彼は一体どんな人物であったのでしょうか。

 

23-7_怯える役人

 

・【秋射】命中率が低ければ降格処分も!厳しい三国志時代の勤務評定

 

北の異民族に備える後漢末期の国境警備兵達、

それでも戦争がない時は平和か?と言えば事実はそうではありませんでした。

徴発される農民兵とは違い、採用された役人には、勤務評定があり、

出来次第では、クビという事もあったからです。

 

姜維

 

・蜀の勇将・姜維司馬昭に嵌められ無念の最期を遂げる?

 

コーエーのシュミレーションゲーム「三国志」。

私もヘビーユーザーのひとりですが、群雄割拠の時代からゲームを始めると、

だいたい「姜維(きょうい)」が登場する頃には天下を統一し、ゲームは終了しています。

なので、姜維は自分にとってはレアなキャラクターです。

姜維は西暦202年の生まれなので、西暦217年以降に在野の士として出現します。

ゲームでは能力値が軒並み高く、ビジュアルも優れているためとても人気のある武将です。

今回はそんな蜀の後期を支えた勇将・姜維に迫りたいと思います。

 

張燕

 

張燕(ちょうえん)とはどんな人?百万人の盗賊頭にのし上がり呂布とまともに戦った燕

 

天下無双として三国志前半の時期を彩った呂布(りょふ)。

彼は一騎打ちをさせれば関羽張飛のふたりを相手にして互角以上の戦いを見せ、

戦においても「飛将(ひしょう)」の名を冠するほどで、

天才兵法家である曹操を何度も窮地に追いやる戦上手でした。

そんな武勇と戦に秀でていた呂布と互角以上の戦いを繰り広げた武将がいたのを

ご存知でしたか。

その名を張燕(ちょうえん)と言います。

 

華雄と呂布

 

・呂布は知将?呂布の知略によって袁術軍はフルボッコにされていた

 

徐州(じょしゅう)を領有することになった呂布(りょふ)。

袁術から婚姻の申し出があるとすぐに応じるのですが、

陳珪(ちんけい)や陳登(ちんとう)らの名士の説得によって袁術と婚姻するよりも

曹操軍と同盟したほうがいいと進言を受けたことによって袁術との婚姻話を破棄します。

すると袁術は呂布に激怒して大軍を催して徐州へ攻め込んでくることになります。

この時呂布は珍しく他人の進言を取り入れて袁術軍をフルボッコにします。

 

織田信長01

 

・織田信長の息子達の名前がファンキーでかなりやばい!!

 

戦国を代表する武将といえば織田信長(おだのぶなが)が選ばれると思います。

彼は当時の戦国大名の中でも突出した考えの持ち主でした。

楽市楽座(らくいちらくざ)、兵制の革新(鉄砲重視の部隊編成、

他国よりも長い槍を製造したことなど)など他の戦国武将の考えが及ばない領域を改革して、

他の戦国大名よりも一歩も二歩も飛び抜け、時代を先駆けていきます。

また彼の美的センスも他の戦国大名や現代人でもちょっとこの人おかしいのではと

思うような美的センスを持っておりました。

 

キングダム

 

・蒙武(もうぶ)ってどんな人?親友、昌平君との戦いは回避不能!

 

蒙武(もうぶ)は、漫画キングダムでは、武の体現者と言える存在です。

親友の昌平(しょうへい)君からは、武をもって策を破る人物と称されるように、

どんなに緻密な陣でも怯む事なく突進して最期には撃ち砕いてしまいます。

楚の筋肉バカ、汗明(かんめい)相手には、腕をへし折られてからファイトに火がつき

これを撃殺してしまうなど、死ぬ寸前になると戦闘力が一気にあがる

サ○ヤ人的なあり得ないパワーを発揮しました。

 

馬超

 

・晩年の馬超が精神的にも燃え尽きていた事実が判明

 

蜀の五虎大将軍という肩書の割には、大きな手柄がない馬超(ばちょう)。

その大きな理由は人生のピークを過ぎていたからという事実は以前にも紹介していますが、

実は精神的にも馬超が燃え尽きていた可能性がある事が発覚しました。

すでに、もう一花どころでは無かった燃え尽きた馬超の逸話を紹介します。

 

photo credit: DSCF1368 via photopin (license)

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・【趙の名宰相・藺相如の名言】長平の戦いの時に王に発した名言とは

 

秦と趙の最終決戦と行っても過言ではない「長平の戦い」。

秦は最初は違う将軍を任命して趙軍と戦っておりましたが、

ある策が成功してから天下の無敵将軍・白起を総司令官に任命。

趙は当初三大天の一人である廉頗(れんぱ)を総大将として出陣させます。

秦は最初の小競り合いで廉頗に何回か勝利を得ますが、

廉頗はこの小競り合い以降守備を固めて、秦の軍勢と真っ向から勝負をしませんでした。

 

22-1_藏洪

 

 

・【春秋戦国時代の偉人】武霊王はなぜ胡服騎射を導入したの?

 

春秋戦国時代の燕・趙・魏・韓・秦・斉・楚の国々は偉人と言われた人物を輩出しております。

武将で名を上げればキリないですが、燕は名将楽毅(がくき)を輩出。

趙の代表的な人物である廉頗(れんぱ)や趙奢(ちょうしゃ)、藺相如(りんそうじょ)も時代を築いた

人物として偉人に数えられるでしょう。

 

真田丸02(武田信玄)

 

・武田信玄のおびき寄せに乗った哀れな徳川家康

 

三国志の時代の大きな戦いの一つである石亭の戦いでは、呉の武将が魏へ寝返ると嘘をついて

魏軍をおびき寄せたところを呉軍が包囲して大打撃を与えております。

これに似た戦略を武田信玄も徳川家康に対して使用していたのを知っておりましたか。

信玄が使った戦術は寝返りなどではなく、

家康を挑発することでおびき寄せることに成功しております。

 

曹操の三顧の礼03 曹操、荀

 

・【三国志の英雄】曹操の恐ろしいエピソードをご紹介

 

正史三国志の著者である陳寿(ちんじゅ)は「超世の英傑」と曹操(そうそう)を称えます。

彼は軍事・政治のなどあらゆる面で天才的な才能を発揮して行き、

エピソードも劉備(りゅうび)や孫権(そんけん)らの群雄達に比べて多く存在しております。

今回はそんな曹操の恐ろしさが窺うことができるエピソードをいくつかご紹介したいと思います。

 

23-3_次第に巨大化していく黒山賊と張燕3

 

・黄巾賊より多い黒山賊100万を率いた張燕(ちょうえん)

 

西暦184年の甲子の年に反乱を起こした武装集団は?と言えば、

少し三国志に詳しい方であれば黄巾賊(こうきんぞく)と即答すると思います。

しかし、実際はブーなのです、確かに黄巾賊も蜂起しましたが、

その裏で黄巾賊を遥かに上回る山賊集団が蜂起していました。

黒山賊(こくざんぞく)というのがそれで最盛期には百万を数えて猛威を振います。

その頭領こそが、今回の主人公、張燕(ちょうえん)です。

 

曹操と張繍

 

・張繍と賈詡は曹操に降伏したのは本心からではなかった!?

 

張繍(ちょうしゅく)と賈詡(かく)のコンビは宛城(えんじょう)の戦いで曹操軍に奇襲をかけて

大勝利を収め、曹操を討ち取る寸前まで追い詰めることに成功。

その後彼らコンビは劉表の元へ身を寄せた後、曹操へ降伏することになります。

張繍は始め袁紹と同盟を結んで曹操と戦おうと考えておりましたが、

賈詡のあるとんでもない行動によっておじゃんになってしまいます。

 

鄧禹と光武帝

 

光武帝劉秀を支えた雲台二十八将の上位15人とはどんな人達だったの?

 

始皇帝が秦帝国を打ち立てたますが、彼の強力な法体制に我慢できず、

彼の死後反乱が勃発。

その後劉邦が項羽と決戦を行い劉邦が勝利し、前漢帝国を打ち立てることに成功します。

だが前漢帝国は元帝の外戚であった王莽(おうもう)によって滅ぼされてしまいます。

そして王莽は「新」と言われる帝国を建設。

だが王莽の帝国を認めなかった各地の豪族達が反乱を起こし、

中華は群雄割拠の時代に突入することになります。

 

真田丸 武田信玄

 

・武田軍の西上作戦はなぜ失敗してしまったのか?武田信玄の病が関係していた?

 

武田軍は最強と言われた騎馬隊と信玄の調略によって領土を拡大し続けており、

駿河を攻略した後に京都へ向けて進撃するため、大軍を率いて遠江・三河へ攻略を開始。

途中で徳川軍を打ち破って向かうところ敵なしの状態であった武田軍は

西上作戦を中断して甲斐へ戻らなくてはならない状況へ陥ります。

その原因を今回ご紹介していきたいと思います。

 

曹叡

 

 

・【占いで見る三国志】曹魏が倒れることが曹叡の時代に予言されていたってホント!?

 

魏の二代目皇帝曹叡(そうえい)。

彼の時代はおじいちゃん・曹操、父曹丕によって魏の基盤はしっかりとしており、

呉や蜀を圧倒している状態でまだまだ滅びそうな気配はありませんでした。

だが魏の国内では相次いで曹魏が倒れるような文言が書かれている石が発見されているのです。

 

陸遜 呂蒙

 

・そうだったの?呂蒙が後を託したのは陸遜では無かった!

 

孫呉においては、総司令官は周瑜(しゅうゆ)に始まり、魯粛(ろしゅく)に

引き継がれて呂蒙(りょもう)にバトンタッチ、最期は陸遜(りくそん)で

終わるというのが定説だと思います。

しかし、実はこれ間違っているのです、どこで間違っているのかと言うと、

呂蒙が臨終間際に後継者に指名したのは、陸遜では無かったからなのです。




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関連記事:大奥も目じゃない?曹操の妻達の人生まとめ6選

 

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