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【週間まとめ】はじめての三国志ニュース38記事【3/6〜3/12】

この記事の所要時間: 1054




 

はじめての三国志では毎日コンテンツが掲載されています。

今週(3/6〜3/12)に掲載された記事をピックアップ!

はじめての三国志編集部が1週間分の情報をお届けします!

週末、時間が空いた時にゆっくり読んでみてはいかがでしょうか?

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら




今週(3/6~3/12)のまとめニュース

3/6のおすすめ記事


 

・【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第七話「検地がやってきた」の見どころ紹介

 

おんな城主井伊直虎(いいなおとら)。

第6話は波乱と言えるような事件は起きることなく、

一応平和にエンディングロールを迎えることができました。

さて今回は色々と波乱が起きてもおかしくないような気がするのですがどうでしょうか。

今回もおんな城主・井伊直虎の第7話の見所をご紹介していきたいと思います。

 

 

・【シミルボン】これは凄い!非常に我慢強い英雄、曹操

 

三国志演義では、悪役である曹操(そうそう)は傍若無人で冷酷な独裁者という

イメージで語られやすい傾向があります。

確かに、徐州虐殺など、感情のままに苛烈な殺戮を行う場面もありますが、

一方で曹操は、尋常ではない我慢強さを発揮する事もあったのです。

 

 

・趙雲と姜維の一騎打ち!姜維の武勇は本当に凄かったの?

 

蜀の後半期を支えた名将・姜維は西暦202年の生まれです。

この年は河北の雄であった袁紹が死去した年です。

蜀の英雄・諸葛亮孔明が生まれたのが西暦181年のことですからふたりの年の差は20歳ほどになります。

26歳の頃の姜維は魏に仕えています。

アラサーだった諸葛亮孔明から見ると若く生き生きとした

敵国のこの若者がとても魅力的に映ったことでしょう。

 

 

・【刀匠干将・莫耶】二人が作った剣、実は三国志にも関わり合いがあった!

 

刀匠と言われる干将・莫耶(かんしょうばくや)。

ゲームFate/Zeroに出てくる英霊アーチャーが使っている剣が、

干将・莫耶という名前の剣で、二対の剣を使って戦っている姿は、

見たことある方は「あれか~」と納得していただけると思います。

また名作マンガの一つである「うしおととら」にも干将・莫耶のお話が出てきます。

 

 

・秦の丞相・李斯が秦を救った!逐客令を認めさせるな

 

秦の天下統一の支えとなったのは名だたる将軍達の活躍と

秦の内政がしっかりとしていたからでしょう。

新王政の時代、秦の国政を担当していたのは李斯(りし)でした。

彼が丞相となって国政を担っておりましたが、ある事件がきっかけで秦国以外の人材をすべて

外に追い払ってしまおうという運動が始まります。

 

 

・曹操に仕える前の龐徳って何してたの?地方の役人として後漢王朝に仕えていた男の人生

 

関羽を討ち取る覚悟で于禁と共に樊城救援に出陣した龐徳(ほうとく)。

しかし結果は関羽に捕らえられてしまい討ち取られてしまいます。

そんな彼ですが曹操に仕える前は、

一体どのような人物であったのか知っている人は少ないのではないのでしょうか。

今回は曹操に仕える前の龐徳をご紹介したいと思います。

 

3/7のおすすめ記事


 

・【囚われた二人の友情】匈奴に囚われた李陵と蘇武の熱き友情

 

李陵と蘇武は漢の武帝の時代に生まれ、共に漢の武帝に仕えることになります。

ふたりは同期だったこともあり互いに色々な話をしていく内に仲良くなっていきます。

そんな中、李陵(りりょう)は漢の武帝の命令で匈奴軍と戦うことになりますが、

匈奴の捕虜となってしまいます。

そして李陵の友達である蘇武(そぶ)も武帝の使いとして匈奴へ向かいますが、

使節としての役目を果たすことができずに彼も捕らえられてしまいます。

 

 

・【春秋戦国時代】時代の主人公であった魏の文侯の厳選エピソード

 

古代中国史には春秋時代と戦国時代がありました。

ざっくりと春秋時代をまとめると春秋時代は周王朝が諸侯の上に君臨し、

覇者と呼ばれた国が周王朝に代わって、他の諸侯をまとめあげていた時代です。

そしてこの時代の終焉は北の超大国であった晋が魏・韓・趙の三国に分裂したことが

きっかけで終焉を迎えることになります。

 

 

・劉備の蜀攻略戦で活躍したのは武将ばかりではなく、みんな知っている○○があったから

 

劉備は赤壁の戦いの後に益州の使者である張松(ちょうしょう)と法正(ほうせい)から

蜀を乗っ取るように勧められます。

劉備の軍師である孔明や龐統(ほうとう)は益州攻略をするべしと劉備に説いたことがきっかけで、

蜀攻略戦が行われることになるのは皆さんご存知だと思います。

 

 

・【春秋五覇の一人】穆公のおかげで後進国からのし上がった西の国・秦

 

秦の始皇帝によって中華で初めて天下統一を行った秦。

しかし周王朝が出来た時は中原諸国にあった国々と比較して大いに遅れていた国でした。

しかし秦の穆公の時代に秦国は中原諸国と積極的に国交を深めたことで、

大いに力をつけていくことになります。

 

 

・もし姜維が魏に残り続けていたら蜀はどうなった?魏では出世できた?

 

もし、この武将がこの君主に仕えていたらどうなったのか。想像は膨らみます。

今回は三国志の後半時期に活躍した蜀の姜維(きょうい)にスポットを当てていきたいと思います。

姜維はもともと魏に仕えていました。それが敵対する蜀に降伏し、

蜀の大将として活躍していくことになります。

敵国から降ったものをここまで出世させるというのは稀なことです。

もと仕えていた国が滅んでいるのであれば話は別なのですが、

姜維が仕えていた魏は大国としてずっと蜀に立ちはだかっています。

実に不思議な話でもあります。

 

 

・後漢の人材難極まる!火薬庫涼州の刺史がボンクラ揃い

 

後漢の末、涼州は馬騰(ばとう)や韓遂(かんすい)、辺章(へんしょう)のような

群雄が度々蜂起して危ない土地でした。

それは、もちろん政治が腐敗して王朝の官僚機構が上手く機能しなくなり、

異民族を抑える力が落ちた為ですが、それに加えて、涼州に送られる刺史という

刺史が、揃いも揃ってボンクラだった事もあります。

今回は、全員更迭間違いなしの涼州のダメ刺史を4連発で紹介しましょう。

 

3/8のおすすめ記事


 

・姜維が北伐をしなかったら、あるいは北伐を成功させていたら蜀漢は長続きした?

 

劉備が建国した蜀漢は、漢王朝の後継者を自称していました。

王朝は後漢最後の皇帝・献帝が魏の曹丕に帝位を禅譲したことで滅んでいるのですが、

劉備や諸葛亮孔明はそれを認めませんでした。

ここで、蜀漢は二つの宿命を背負うことになります。

今回は蜀漢の宿命について触れていきたいと思います。

 

 

・そうか!曹叡が豹変したのは、孔明が死んだからではなかった!

 

魏の二代皇帝、曹叡(そうえい)、統治の初期は大変に有能で、戦争も強かった彼ですが、

諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の死後、緊張の糸が切れ人が違ったように

大建築物をバカバカ建てまくる浪費家になり、魏の屋台骨を傾けてしまいます。

しかし、曹叡が豹変したのは、実は孔明の死のせいではないようなのです。

 

 

・【マイナー武将ここがすごい】建安七子・王粲の才能がヤバイってほんと!?

 

歴史上の人物の中には有名じゃないけど「この人すごくない!?」って人がゴロゴロいます。

幕末の日本でもあんまり有名じゃないけど考えていることが幕末の歴史上の人物の中で、

図抜けていた長岡藩(ながおかはん)の家老河井継之助(かわいつぎのすけ)などが

いい例だと思います。

上記の例は三国志の人物達にも当てはまるとレンは思います。

建安七子のひとりである王粲(おうさん)のとんでもない才能をご紹介します。

 

 

・徳川家康との対決と信長包囲網構築へ

 

三国志最大の領土となった曹操は各国の群雄から敵対視されており、

蜀の劉備、呉の孫権の二大勢力と戦わなくてはなりませんでした。

日本の戦国時代も最大の勢力を築いた織田信長は包囲網を構築されて非常に苦しい状態を

味わうことになります。

武田信玄も信長と同盟をしておりましたが、自らの夢である京都に武田の旗を立てるべく

織田信長包囲網に参加しておりました。

彼は各国の諸大名と連携して信長を苦しめるとともに駿河以西の遠江(とおとうみ)、

三河攻略へ向けて準備を始めます。

 

 

・【賢母の知恵編】私あまり顔には自信がないけれど鍾会には負けませんわ

 

鍾会(しょうかい)。

司馬家に接近し、司馬師・司馬昭に仕えて彼らの参謀役として活躍した人物ですが、

蜀征伐戦の総大将として任命されます。

その後彼は蜀の大将軍であった姜維(きょうい)とともに魏に反乱を起こしますが、

あっけなく鎮圧されてしまいます。

 

3/9のおすすめ記事


 

・領土割譲という大事件、三国成立は魯粛の目論見?

 

古代から人間は「何のため」に戦争をしたのでしょうか。

それは今も昔も変わりません。領土を得、資源を得るためです。

現代においても他国との領土問題はまったく解決されません。

日本でも尖閣諸島や竹島、北方領土問題はまるで解決の糸口が見えない状態です。

三国志の時代はどうだったのでしょうか。

今回は歴史的な領土割譲について触れていきます。

 

 

・楊端和率いる山の民連合軍が列尾攻めで大活躍!山の民の生態とは?

 

楊端和(ようたんわ)が率いる山の民連合軍が趙の国門、列尾を落すのに大活躍ですね。

山の民は平地の民と違い盾を用いず無造作に城壁によじ登ろうとし、次々と射殺されても

動じず、楊端和は、「気にするな、うちはいつもあんな感じだ」と言い放つ始末です。

さて、キングダムに登場する山の民、実際には、どんな人達だったのでしょうか?

 

 

・【シミルボン】バカっぽい?酒を煮て英雄を論ずは、もう少し知的だった

 

三国志演義には、酒を煮て英雄を論ずという回があります。

曹操(そうそう)と共に食事をしていた劉備(りゅうび)が曹操に

「この乱世に英雄と呼べる人物は誰か?」と質問され、様々な群雄の名前を挙げるも、

曹操に反論され、最期に曹操に「この世に英雄は君と余だけだ」とに言われ、

内心を見透かされた劉備は思わず箸と匙を落してしまいます。

 

 

・妻が13人もいた曹操が一番愛した女性は誰だったの?

 

英雄、色を好むと言いますが、曹操もご多分には漏れませんで、

13名の妻を持ち子供は男女合わせて32名という艶福(えんぷく)家でした。

平和な時代の権力者なら100名子供がいても珍しくはありませんが、

生涯、戦争ばっかりやって、これだけの成績を残すのですから曹操という人は、

時間の使い方が相当に上手だったのでしょう。

では、そんな曹操が一番、愛した女性とは、誰だったのでしょうか?

 

3/10のおすすめ記事


 

・【キングダム考察】王翦が自ら戦わない理由は史実にあった!

 

大人気春秋戦国時代漫画キングダム、現在は趙の国門である列尾の城壁の上に

バジオウ達、山の民が上る事に成功し、圧倒的な体術で趙兵をなぎ倒して門を開き、

そこに飛信隊が殺到しているという状況です。

このまま、列尾は簡単に陥落するのか?予断を許しませんが、ここまででも、

かなり不思議な事があります、まるで自軍を動かさない王翦(おうせん)の状態です。

 

 

・【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第八話「赤ちゃんはまだか」の見どころ紹介

 

第7話で駿府へ使いに出して瀬名姫から返答をもらった次郎法師(じろうほうし)。

瀬名姫は徳川家康と結婚しており、嫡男である信康(のぶやす)が誕生しており、

第二子をもうけることになったそうです。

さて井伊谷の井伊直親(いいなおちか)と直親の奥さんであるシノは

結婚してから4年の月日が経っているにも関わらず子供をまだ授かっていないようです。

さてさて今回も井伊谷にひと波乱ありそうな気配が漂ってきますね。

今回は第8話赤ちゃんはまだかの見所をご紹介していきたいと思います。

 

 

・三国志を否定するのは呉の張昭?三国間の不毛な争いを終わらせようとした政治家

 

魏、呉、蜀が互いに帝位を称して争ったのが三国志です。

そこには魏には魏の、呉には呉の、蜀には蜀の大義名分あったことでしょう。

それぞれの国の臣が個性を活かし、己の信念をぶつけて国の発展に寄与しました。

しかし誰もがこの三国並立の時代を望んでいたわけではありません。

多くの人々が無駄な流血に嫌気がさし、争いのない平和な生活を願望していました。

つまり三国並立よりも天下統一を求めていたのです。

 

 

・王烈(おうれつ)を知っていたら三国志マニア?名声をもっていながら民衆として生きた名士

 

後漢王朝の名士としてその名を轟かせながら官吏に就くことがなかった王烈(おうれつ)。

彼は董卓が権力を濫用して好き勝手やり始めると遼東(りょうとう)へ逃亡。

その後は商人として生きていくことになるのですが、

一体どのような人物なのでしょうか。

三国志の人物の中でもかなりマイナーな武将・王烈についてご紹介していきたいと思います。

 

 

・鉄壁の合肥城を作り上げた劉馥の一族にとんでもない奴がいた!?

 

防御力ゼロ、住民もほとんどいない城であった合肥(がっぴ)城。

しかしこの合肥城に一人の役人が赴任したことによって、

防御力ゼロで、ほとんど無人であった合肥城が、

鉄壁の合肥城へと進化することになります。

その役人の名を劉馥(りゅうふく)と言います。

 

 

・韓遂の処世術が現代人にも参考になる!いつでもナンバー2!キングメーカー韓遂

 

世の中には、キングメーカー、黒幕、闇将軍、影の総理、大御所、等々

さまざまな名称で呼ばれているナンバー2が存在します。

彼等は、敢えてナンバー1にならず、ボスの裏に回り背後から操るという

テクニックで事実上のボスの地位になっていました。

三国志にも、敢えて自分は裏に回り、別人をボスに立てて活躍した男がいます。

それが涼州の影の実力者、韓遂(かんすい)です。

 

3/11のおすすめ記事


 

・呉の太子四友とはどんな人?権力闘争に敗れ失脚していくエリート

 

才能に溢れながらも失脚していくものは古今東西歴史上に数多います。

日本では学問の神様として有名な菅原道真が妬みと讒言によって

太宰府に左遷されて無念の死を遂げています。

三国志の時代も同様です。

陰湿な権力闘争に巻き込まれて失脚し、左遷されたり、

暗殺されたり、死を賜ったりする名臣はいました。

今回は呉を舞台に、将来を期待されながらも失脚していった官僚たちに迫ります。

 

 

・【戦国四君にまつわる逸話】趙の貴公子・平原君って人を見る目がなかった?

 

戦国春秋時代後期に出現した各国の貴公子たち。

彼らは多くの食客を抱え、何かあれば彼らに相談して物事を図っていたそうです。

そんな貴公子達を代表的な存在を四君と呼び、斉の孟嘗君(もうしょうくん)、

楚の春申君(しゅんしんくん)、趙の平原君(へいげんくん)、魏の信陵君(しんりょうくん)が

各国の間でも人望があり、数々のエピソードを残しております。

今回はこの四君の一人である平原君のエピソードをご紹介しましょう。

 

 

・【孫武の名言】「将、軍に在りては君命をも受けざるところにあり」っていつ言ったの?

 

孫武(そんぶ)は呉の名臣・伍子胥(ごししょ)から推挙されて、呉の国に仕えることになります。

当時の呉は楚へ攻撃して伍子胥の復讐を完了させることを目的としておりました。

しかし呉の軍勢は南方の大敵である楚の軍勢と比較して

非常に弱く伍子胥と呉王・闔廬(こうりょ)は困っておりました。

伍子胥はこのような時に兵法を研究していた孫武を登用し、呉軍を協力にしようと考えます。

闔廬も伍子胥の推挙してきた孫武の兵法を試すために、

自らが可愛がっていたお気に入りの姫を

はじめとして百人ほどを孫武に預け、軍の訓練をさせようとします。

 

 

・呉王殺害に成功した暗殺者・専諸ってどんな方法で暗殺に成功したの?

 

春秋戦国時代には多くの暗殺者が登場します。

有名なのは始皇帝を殺害しようとした荊軻(けいか)。

君主の仇討ちの為に暗殺者となった豫譲(よじょう)などです。

今回はその中でも「史記」の刺客列伝二番目に登場する

暗殺者・専諸(せんしょ)をご紹介しましょう。

 

 

・【シミルボン】三国志、冬の暖房、炉炭で暖まろう!

 

私達は三国志というと、どうしても派手な合戦シーンを思い浮かべます。

しかし、当たり前の事として、三国志の世界にも夏もあれば冬もあるのであり

夏は暑さにバテて、冬は寒さに震えたのです。

では、厳しく寒い冬、三国志世界の人々は寒さをどうやって防いだのでしょう?

調べてみると、日本でも冬の風物詩だったアレが使われていました。

 

 

・衝撃の真実!なんと韓遂は、劉備に降ろうとしていた

 

韓遂(かんすい)は反乱デビューが四十を過ぎてからと遅咲きながら、

一度叛くや三十二年も抵抗を続けるという頑強さで歴史に名を残しました。

しかし、そんな韓遂も七十を過ぎて味方が乏しくなると寂しさを感じて、

一匹オオカミは辞めて人の世話になろうかな・・とつぶやいた事があります。

韓遂が頼ろうとしたのは、なんと、あの劉備(りゅうび)だったのです。

 

3/12のおすすめ記事


 

・漢の飛将軍・李広の逸話「信念をもって行えばやれないことはない」

 

キングダムの主人公である李信。

彼は秦の大将軍を目指して現在奮闘中ですが、彼の子孫は前漢の有名な将軍になっております。

その名を李広(りこう)と言います。

彼は匈奴軍が漢の国へ侵攻すると必ず迎撃に出て、撃退しておりました。

そのため、匈奴は彼を恐れて彼の守備範囲の外の領土へ幾度も侵入しておりました。

そして匈奴からは「飛将軍」として呼ばれることになる人物です。

そんな彼には逸話も多く存在し、今回は彼の逸話の一つをご紹介しましょう。

 

 

・あるポンコツのせいで崔琰は死刑になってしまったってほんと!?

 

崔琰は袁紹が滅びた後、曹操に仕えることになります。

彼は曹操に仕えた後いろいろな人物に評価を与えたり人材を推挙しておりましたが、

才能がないポンコツを推挙したことによって死刑になってしまいます。

 

 

・【キングダムの登場人物の子孫達】東晋時代の王賁の子孫の政治手腕と軍事手腕がヤバイ!

 

三国志の時代に活躍した王賁の子孫である王祥(おうしょう)。

孝行息子としてその名を天下に轟かせ、

司馬炎の時代には三公の上の位に就任するほどの活躍を見せます。

だか彼よりも活躍した人物が晋の滅亡後に出現します。

今回は東晋時代に活躍した王導(おうどう)と王敦(おうとん)の兄弟をご紹介しましょう。

彼らは素晴らしいコンビネーションを見せて東晋王朝を支えていきます。

 

 

・三国志の時代を震えさせる怨霊たち!特に呉には怨霊系の話が多い!

 

怨霊に呪い殺されるという話はもちろんフィクションなのでしょうが、そこそこよく聞く話です。

日本の有名な怨霊といえば崇徳天皇でしょうか。

「天下滅亡」という呪詛を残して無念の死を遂げ、その怨霊が後白河天皇の息子の二条天皇、

その后の中宮、そして孫の六条天皇までを怪死に追い込んでいくのです。

恐ろしいですね。

 

 

・蓋勲(がいくん)とはどんな人?霊帝に信頼され董卓が恐れた硬骨漢

 

蓋勲(がいくん)は陳寿(ちんじゅ)の三国志には登場しない人物ですが、

南朝宋の時代の人物である范瞱(はんよう)が書いた後漢書五十八巻の

虞傅蓋臧(ぐふがいぞう)列伝に登場します。

つまりは、劉備(りゅうび)や曹操(そうそう)と同時代を生きているのですが、

正史三国志には出てこないので、まるっきりスルーされている人物なのです。

ですが、この蓋勲、カットされるには惜しい逸話の持ち主で霊帝に信頼され、

董卓(とうたく)が恐れて殺す事が出来ない人物でした。

 

 

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