【イフ三国志】もしも袁紹と曹操の境遇が入れ替わっていたら?曹操にとってイージーモードだったのか?

2019年9月17日


 

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袁紹と曹操

 

三国志序盤のライバル同士である、袁紹(えんしょう)曹操(そうそう)。性格的にも出自についても、いろいろと違いの際立つ二人ですが、もしこの二人の境遇が逆だったら、いったいどういうことになっていたでしょうか?

 

袁紹と曹操

 

陳寿による『正史三国志』の展開を参考に、イフ展開を考えてみましょう。

 

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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もし曹操が袁紹の立場からキャリアをスタートさせていたら?

後継者を決めずにダラダラする袁紹

 

まずは『正史三国志』の「袁紹伝」から、史実の袁紹の出自を整理してみましょう。

 

・袁紹の一族は、代々、漢王朝の名門であった

・袁一族は天下に大きな影響力をもっていた

・その袁紹のところには大勢の人が身を寄せていた

洛陽(らくよう)に出てからは、時の権力の中心人物である何進(かしん)将軍に重用されていた

 

曹操

 

さて、この立場に曹操が生まれていたら、どういうことになっていたでしょうか?

 

洛陽城

 

それは、曹操が、いきなり名門の出身者として洛陽に登場する、ということです。各地の有力者たちや、志の高い若者たちが何もしなくても集まってきてくれる上に、何進将軍の右腕としていきなり権力の中枢に関われる立場からのキャリアスタートです、いいことばかりです。

 

盧植と何進

 

史実では、その何進将軍はあっけなく十常侍(じゅうじょうじ
)
に暗殺され、洛陽の混乱の端緒となるのですが、もし曹操が何進の右腕だったら、そう簡単に十常侍の陰謀を許すはずもなく、三国時代の序盤の展開が大きく変わってしまったかもしれません。

 

何進に見切りをつける蒯越(カイ越)

 

もっとも曹操が有利な立場からキャリアを始めたとしても、彼ならばなんだかんだ、いったん世の中が乱れるに「まかせる」という方針を採るでしょうから、漢王朝が生き永らえた可能性はありませんが。

 

袁術君08 コンフォートゾーン」から抜け出す05 董卓

 

たとえ何進が暗殺され、董卓が出現する、という展開そのままだったとしても、その場合でも袁紹の立場と入れ替わっている曹操は、いきなり「反董卓連合軍の頭領」になれます、いいことばかりです。

 

「曹操が反董卓連合軍のリーダー」って、その時点で乱世は終わって、曹操の天下統一がほとんど完成してしまいそうなほどのインパクトですね!

 

 

いっぽう袁紹が曹操の立場からキャリアをスタートさせていたら?

袁紹が宦官を惨殺に行く

 

曹操の立場になった袁紹はどうなるでしょうか?

実は、これはこれで面白い展開になりそうです。

 

宦官たち 

 

袁紹ほどではないものの、史実の曹操もそれなりの家筋の出身者。ただし宦官として名を馳せた先祖を持っていたため、しばしば「宦官の子」と罵倒され、それがコンプレックスになっていたそうです。

 

袁紹がその立場だったら、どうなるでしょうか?

 

美化された袁紹に羨む袁術

 

史実でも曹操に食い物にさえされなければ、華北を統一したり、公孫瓚を撃破したりと、それなりに有能なリーダーシップを見せていた袁紹のこと、「宦官の子」と呼ばれてもそれほど根に持たず、粛々と仕事をこなす能吏として成長したかもしれません。

 

 

血筋はまぁまぁ。黄巾賊討伐での活躍でもまぁまぁ。十常侍の横暴より始まる洛陽の混乱に際しても、事後処理は、まぁまぁ。

そんな袁紹と曹操が洛陽で出会ったとしたら?

 

まとめ:ありえる展開は、曹操が君主で袁紹がサブという「ちょうど良い関係」?!

魏の曹操孟徳

 

いささか意外な結論ですが、

・名門出身で、最初から諸侯のリーダーとして輝いている曹操

・地方の出身で、こつこつとまじめに出世してきた袁紹

この二人が出会った場合、曹操が君主、袁紹はその部下に収まり、存外、生涯ぶつかることもなく、うまくいってしまうのではないでしょうか?

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

先述した通り、この展開では、曹操の覇業はかなり早い段階で「決まり」となりそうです。そのような情勢下で、あえて袁紹が「乱世の奸雄」となって世の中を荒らし、下克上を図るかといえば、そんな行動には出そうにありません。

 

曹操

 

曹操が皇帝、袁紹はその有能な部下として、結果としては華北のそれなりの大きな土地を与えられて、安泰な生涯を送ったかもしれません。そしてこのほうが、袁紹本人としては、幸福な人生かもしれませんね。

 

曹操

 

曹操が最初から覇王の座に近く、袁紹が最初から「欲の出しようがない」サブの家柄の出であったら、こんなに三国時代も平和に済んだのだ、と想像すると、「やはり人は身の丈にあった生き方を早く見つけるのが正しいってことなのかな」と、余計なことを考えてしまいます。

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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