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人口流出に悩むも見せしめを禁じた孫権
もう一つ、孫権の治世の晩期には、呉から住民やら武将がどんどん魏に流出する時期でした。そこで呉では見せしめの為に、逃げ出した督や将軍の妻子を殺害していましたが、孫権はそんな事をすれば妻に夫から去らせ、子に父を棄てさせる事になり、礼教に悪影響なので、今後は中止するように命じたと三国志孫権伝を補う江表伝にあります。
本来なら、孫権としては人材の流出を考えれば、逃げれば妻子を殺すぞという脅しに使える見せしめ刑ですが、人情を損ねてまではそれは出来ないという事でしょう。この辺り、民衆には慈愛のある面を見せた孫権らしい配慮です。
三国志ライターkawausoの独り言
晩年の孫権と言えば、酒乱、頑固、猜疑心の塊、ワガママと老害が全て勢ぞろいしている印象ですが、若年の頃は紛れもない名君だった事もあり、晩年にも名君の片鱗が残っている感じがあります。
もっとも、歩隲や朱然も本気で蜀が攻めてくると思っていたわけではなく、蜀をダシにして、負けっぱなしの戦況を挽回すべく防衛予算をせしめる目的だったとも言われていますが、、
参考文献:正史三国志
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