【徳川家康の長男】信康を切腹に追い込んだ真犯人は武田?

2020年5月5日


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信康を切腹に追い込んだ真犯人(1P目)

 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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まとめ:実際に起きたことは父による粛清?武田勝頼ファンには少し嬉しい仮説かも

合戦シーン(戦国時代の戦)

 

大岡弥四郎事件で内部分裂寸前までいった徳川家ですが、そのしばらく後に信康の死亡という事件が起きた後は、いっきに勢力を盛り返し、武田家を攻め滅ぼすところまで大逆転します。この経緯について、こういう推理も成り立つのではないでしょうか?

何本も翻る軍旗と兵士(モブ)

 

岡崎城には、大岡弥四郎だけではなく、武田氏に降伏して家康を見限ろうとする勢力がウヨウヨいた。それを統括する立場の信康も、どこかでそれと同調しているような不審な点があった。

徳川家家紋

 

そこでついに家康は信康を粛清して、徳川家中に範を示した。自殺を強要したにせよ、暗殺したにせよ、信康の死は家康が「実の長男でも武田方に近づく気配を見せたらこうだ!」という粛清だったのではないか、ということです。

 

戦国時代ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

この仮説に立つと「信長の命令でやむをえず長男を殺した悲劇の父親」という家康のイメージとは、あまりに違ってきます。それゆえ家康のファンには、この疑惑はあまり深掘りしたくない話題かもしれません。

 

ポイント解説をするYASHIRO様

 

ただし、武田家のファンにとっては、「実は勝頼の時代になっても武田家の調略はかなり効いていた」ということになり、留飲の下がるところのある仮説ではないでしょうか?

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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