黄皓の最期を振り返る!本当に蜀を滅亡に追い込んだのか?

2020年5月20日


 

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黄皓

 

三国志、三国志演義両方でとてつもない悪漢(あっかん
)
とされる存在、黄皓(こう こう
)
。彼は(いや)しい身分でありながら劉禅(りゅうぜん
)
の寵愛を受けて出世、権力掌握(けんりょくしょうあく)、そして政治を好き放題して蜀の滅亡を招いた人物として歴史に記されてしまった人物でもあります。

 

蜀志(蜀書)_書類

 

今回はそんな彼の最期を振り返りつつ、共に三国志の歴史も振り返ってみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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黄皓という人物

董允

 

まずは正史から見ていきましょう。諸葛亮(しょかつ りょう
)
の没した後、後任として董允(とう いん
)
が跡を任されました。しかし残念ながら彼は病没(びょうぼつ)。その後に董允の後任となったのが陳祇(ちん し
)
、そして彼と共謀して政務を仕切るようになったのが黄晧です。後に黄晧は中常侍(ちゅうじょうじ)までになります。

劉禅に気に入られる黄皓

 

分かりやすく言うと社長秘書ですね。このため劉禅は黄晧の言うことばかり聞いてしまい、黄晧の専横(せんおう)が始まってしまうのです。

 

三国志演義での黄皓

三国志演義_書類

 

ぶっちゃけると正史より非常に扱いが悪いです。というか正史三国志でも良い所はないのですが……それに輪をかけて酷い存在にされています。

姜維の地位を落とす文官

 

諸葛亮の在命時から悪辣卑劣(あくらつひれつ)な人物として描かれ、私腹を肥やす、敵と通じる、姜維(きょう い
)
北伐(ほくばつ)を邪魔すると最早最大の敵は味方という存在。

 

三国志時代の巫女(女性)

 

果てには「なんか良く分からないけどいきなり出てきた巫女(みこ)」を呼び出して予言をさせて政治させるというもう何が何だか……という有様に。

司馬昭

 

蜀が滅亡した原因であり賄賂(わいろ)で逃亡するも司馬昭(しば しょう
)
の怒りをかって惨殺(ざんさつ)されるという当然のような末路を迎えることとなっています。

 

正史での黄晧はどうなったのか?

正史三国志_書類

 

さて三国志演義では「ざまあみろ!」という最期を迎えた黄皓は、正史ではその最期までは記されていません。蜀を制圧した鄧艾(とうがい)が民衆から黄晧に対する悲惨な訴えと評判を聞くと怒り、黄晧討つべしと彼を捕縛しようとするもそれを知った黄晧は賄賂で逃亡し、姿をくらませてしまったというのが彼の最期になります。

怒る村人 三国志

 

正直民衆の人気最悪である彼が生き残れたとは思えませんが、その怒りが三国志演義での悲惨な末路を迎えさせたのではないかと思われます。

 

歴史を振り返ってみるとあることに気付く

巫女を利用する悪徳文官

 

では黄晧を見ながら三国志の歴史を振り返ってみましょう。黄皓は宦官です、そして政治を掌握し、歪め、国を滅亡させたと言われるような人物です。

 

ここで何かを思い出しませんか?

 

張譲(宦官)

 

そう、三国志の始まりとも言える場面で出てくる最初の悪役、十常侍(じゅうじょうじ
)
。彼らもまた宦官であり、政治を掌握して歪めた人物たちとして知られている存在です。

 

 

宦官・十常侍

宦官たち 

 

ここで少し宦官と十常侍について説明しましょう。

 

霊帝から益州統治を頼まれる劉焉

 

宦官は皇帝に仕えるために忠節の証として男性器を切り落とした存在です。もちろんこうなると子供が残せません。が、一部の宦官たちは養子を取ることが認められていました。

 

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

しかしこの養子縁組が肝となり、養子やその親族を増やして地方の権力者となり、皇帝の名を借りた略奪、暴行が行われたために皇帝の人気はだだ下がり、漢室の権威もだだ下がり。果てには黄巾の乱(こうきんのらん
)
が起こる原因となってしまったのです。

 

宦官排除

宦官を倒す袁紹

 

黄巾の乱が鎮圧されるために数々の武将たちが集まりますが、この際に何進(かしん)袁紹(えんしょう)といった人物たちが宦官(かんがん)、主に十常侍を排除するべく行動開始。

董卓

 

殆どの宦官たちが排除され、この時に霊帝(れいてい)の子を連れて逃げていた張讓(ちょう じょう
)
趙忠(ちょう ちゅう
)
は偶然通りがかった董卓(とうたくによって……恐らく殺され、遺児(いじ)たちは董卓が保護することとなりました。

 

宦官

 

この後、十常侍の件からか宦官の政治参入には制限が設けられることとなりました。ただし宦官という存在は皇帝からすると便利な存在であったのか、(しん)の時代になると再び宦官という存在が政治を掌握するようにもなってきたと言います。こう見ていると黄晧の存在は三国志の象徴とも言え、宦官という存在が三国志に大きく影響を与えていた陰の存在とも考えられますね。

 

ちょっと雰囲気を変えて

十常侍(宦官)

 

さてもの悲しい話になりそうですので最後に小話を。十常侍と言えば十人と思われるでしょう。確かに三国志演義では十常侍は十人です。

 

しかしなんと正史三国志では張讓、趙忠、夏惲(か うん)段珪(だん けい
)
郭勝(かく しょう
)
孫璋(そん しょう)畢嵐(ひつ らん
)
栗嵩(りつ すう
)
高望(こう ぼう)張恭(ちょうきょう)(かん)カイ、宋典(そう てん
)
……つまり十常侍なのに十二人いる!?という謎の事態が。

 

これは十常侍の方が十二常時より語呂(ごろ)が良かったからでは、とも言われていますが、何だかクスッと来てしまいませんか?

十二人で十常侍、よろしくお願いします。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

黄皓の最期は歴史からは分かりません。しかし三国志のスタートは宦官という存在であり、最後もまた宦官。そう思うと繰り返してしまった歴史を感じさせます。

 

怪しい巫女のい占いを信じる黄皓

 

ただ黄晧の評価に関してちょっとフォローをすると、正史を書いた陳寿(ちんじゅ
)
は黄晧によって左遷(させん)されたのでその怨み補正もあるのかな……と思っています。ともあれ黄晧はやはりフォローしきれない悪人であることも思うと、歴史に名前が残される宦官にはあまり良いイメージがないのが悲しい所ですね。

 

参考文献:蜀書後主伝 董允伝

 

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宦官

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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