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歌声、潰える
それはカン丘倹と文欽の反乱の際。
丞相であった孫峻から援軍として留賛も派遣されました。しかしたどり着いてみると既に敗北済み、文欽たちと合流した時、留賛は病に倒れました。撤退命令が出るも既に動けず、果てに諸葛誕の追撃を受けます。留賛は、既に敗北を悟っていたのでしょう。
「私は将になってから一度も負けなかった。しかし今となっては病のため動けず、歌も歌えない。お前たち、私を置いて逃げるのだ」
この時、兵士たちは撤退を拒みましたが、留賛は病の身体を引きずって剣を抜き、兵士たちを脅すように撤退させました。そして自身は、そのまま戦死。73歳でした。
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面白い!
さて留賛、見て頂いた通り、かーなーり面白い!面白い人物です。歌いながら敵と戦って常勝無敗。古の神話に出てきそうな人物ではありませんか!
しかもその最期は最早歌うことはできず、兵士たちに撤退を命じ、歌えない身体で戦死。正に英雄譚という生涯。こんな留賛ですが、三国志ではまだまだ知名度は高いとは言えません。ぜひとも皆様でこの留賛の生き様を知らしめ、ミュージカルやドラマとして頂くべく、ご紹介させて頂いた次第でありました。
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ちょっと真面目に
……と、だいぶ不真面目というか、おチャラけてご紹介してしまいましたが、留賛という武将がもっと注目して頂きたいのは本音です。また、留賛自身の能力も高かったことでしょう。それが分かるのがその最期。
この時の留賛は73歳、かなりの高齢でありながら、援軍の兵を率いる立場として派遣されています。これは今までの経歴、実績からの孫峻の信頼を受けてのものと思われます。
なので、留賛が歌いながら常勝無敗というのは決して誇張ではないと思うのです。実力も実績もあり、更にこのキャラクター性。ぜひとも今後、注目して欲しい人物の一人ですね。
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三国志ライター センのひとりごと
しかし留賛の面白いのはその最期の言葉。「もう勝てない」とか「病でなかったら」とかは良く出てくる話だと思いますが「もう歌えない」なんて出てくるのは、余程のことでしょう。
それほどまでに歌うということは、留賛の生涯において欠かせないものだったのでしょうか。ともあれ、皆さんもぜひ、何か気合を入れたい際には留賛を見習って、音楽を高らかに歌い上げてみてはどうでしょうか?
ちゃぽぽぽぽーん♪
参考文献:呉書孫峻伝 付属 留賛伝
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