手術で失われる人命は1%!それでも宦官になる人が続出した理由は?[闇の中国4千年史]

2022年11月25日


宦官たち 

 

「宮刑」と呼ばれ、処刑によって宦官になった人がいた時代。

 

 

華佗

 

 

医療技術が成熟していなかった時代の宦官手術とは、どんなものだったのでしょうか。当時の死亡率も併せて紹介していきます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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刑罰として手術する場合

暴れまわる異民族に困る梁習

 

権勢を誇る皇帝にとって怖いのは異民族からの侵略でした。戦いに勝つと敵の捕虜に対して、子孫が繁栄しないよう刑罰として性器を切除したのが宦官の始まりとされています。

 

中国の刑罰としては「宮刑」と呼ばれ、皇后が住む「後宮」に仕えることから宮刑と呼ばれたようです。刑罰の重さとしては死刑に次ぐ、重い刑で子孫繁栄を推奨する中国社会では恥とされました。中には死刑をまぬがれて宮刑に処された例もあります。それが歴史家の司馬遷でした。

 

李陵を擁護した経緯から皇帝の怒りを買い、司馬遷は宮刑に処せられます。彼は自殺することなく宮刑を選びます。理由は『史記』を完成させるためです。自害することなく宮刑によって生きる道を選んだのです。のちに彼は宮刑のことを最大の恥辱と語っています。

 

しかしながら、史記の完成は父親の遺言でもあり、なんとしても成し遂げたいという強い意志を抱いていました。このように刑罰としての去勢手術は戦争捕虜だけでなく、臣下に対しても実行されました。

 

 

 

自ら手術する場合

宦官VS外威 三国志

 

刑罰としての宮刑があるのに、どうして自ら去勢して宦官になる人が現れたのでしょうか。これは中国の統治システムに起因します。

 

宋代の公務員試験である科挙

 

中国で出世するには良家の生まれでない場合、難関といわれた科挙に合格するしかありませんでした。ところが宦官になれば試験なしで宮に上がれるとあって、応募が殺到したのです。

 

それが明の時代。王宮には10万もの宦官が仕えていたという記録も残っています。当時の資料によれば、ある時の宦官募集では3,000人の定員に2万人が応募してきたとのことです。それくらい自ら去勢して宦官になる人がたくさん現れたのです。この場合は後宮に仕えるだけで戦争捕虜ではありませんから、手術方法もわりと丁寧でした。

 

 

 

宦官手術の死亡率は高かったの?

宦官

 

中国の漢王朝以前は手術後もろくな処置をされず命を落としてしまう人がたくさんいました。隋王朝では自ら去勢する「自宮は廃止されるものの明王朝で復活します。このころになると手術方法も確率され、清王朝に至っては1パーセントにまで死亡率が下がったとのことです。

 

また、中国の影響を色濃く受けた朝鮮半島にも宦官制度は伝わり、去勢手術して宦官になる人がいました。その際に陰茎を切ると死亡率が上がるため睾丸の摘出のみで宦官とすることが多かったようです。朝鮮王朝は中国に逆らえない立場であったことから、中国に宦官を送っていたこともあります。

 

当時の中国は朝鮮を自分の国の一部として考えていたため、貢物など朝鮮から取っていました。

 

 

 

宦官になる時の痛みは?

宦官の趙高

 

自ら志願した者でも痛みは相当なものだったようです。

 

手術前は数人が体を抑えて行い、手術後は意識を失うほどだったとか…。子どものときに切除された場合は除き、成人してからの切除はまだ性器が残っているという不思議な感覚を味わうそうです。さらに性欲は収まることがなかったため、道具を使って女官と宦官が交わっていたという話も残っています。

 

 

切られた後はどうなったの?

宦官

 

自宮した者は大切に性器を保管します。

 

ロバ顔の諸葛瑾

 

中国では死んだ後に性器を体と別に埋葬すると「ロバ」になってしまうと信じられたためです。

 

また、宦官の間では去勢した証拠として「宝」と呼ばれる性器を検査することがあり、ケースによって「宝」の盗難事件も発生しました。手術費用の担保として「宝」を質入れすることもあり、制度として一般化していたことが伺えます。

 

 

三国志ライター 上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

 

現在では廃止されている制度ですが、国によって科学的去勢は行われており、性犯罪者に対して行われるケースが見受けられます。

 

 

三国志時代の牢獄

 

 

科学的な治療という建前ですので、刑罰の対象ではないようです。時代は変わっても人の考えることに大差はないのかもしれません。

 

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上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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