曹操の息子、曹沖の天才ぶりにビックリ!もしかして古代ギリシャの[アルキメデス]の生まれ変わり?

2023年1月25日


 

三国志大学で勉強する劉備

 

三国志にも理系の人物がいたことをご存知でしょうか。

 

曹沖

 

曹操(そうそう)の四男、曹沖(そうちゅう)です。彼は、幼年でありながら、所謂アルキメデスの原理を理解していたと言われています。ですが、この話は本当なのでしょうか。

 

 

 

アルキメデスといえば、古代ギリシャの有名な学者です。彼は人類の歴史で初めて浮力の概念に気が付いた人物として知られています。また、浮力に限らず、古典物理を開拓した人物として知らない者はいない程の人物です。さて、曹沖は本当にアルキメデスの原理を知っていたのでしょうか。今回は曹沖がアルキメデスの原理を知っていたかについて考察します。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそもアルキメデスの原理って何?

秦の始皇帝

 

アルキメデスの原理を一言で説明すると、「液体中の物体は、その物体が押しのけていた液体の重さ(重力)と同じ大きさの上向きの浮力を受ける」というものです。例を上げれば、プールで浮き輪が浮かぶ、というだけの話です。

 

 

 

アルキメデスがこれに気づいた時の有名な逸話が知られています。アルキメデスは、王様に「不純物の入った金属と、純粋な金属を見分ける方法」を問われました。その答えを考えていたある時、風呂に入っていたアルキメデスは、湯船に浸かった時、お湯が溢れていくことに気がつきました。この出来事から浮力の概念に至ったのでした。不純物が含まれる金属は比重が軽く、水中に沈めた時に浮力を受け沈みにくくなります。この発見により、アルキメデスは不純物の入った金属と純粋の金属を見分ける術を発案しました。浮力の概念に気づいた時に、彼が「Eureka(エウレーカ)!!」と叫びながら、裸で街中を突っ走っていったことも知られています。

 

 

 

問題の曹沖のエピソード

三国志 象兵

 

曹沖は、アルキメデスの原理を理解していたことが言い伝えられています。曹操が象の重さを測るように部下に命じた時、誰一人としてその方法が分かる者はおりませんでした。

 

そこで曹沖が以下のような、測定方法を提案しました。

 

1.象を乗せた船を河に浮かべます。

2.象の重さで船底が深く沈んでいるため、船の底部の水面の位置に印をつけます。

3.次に船から象を下ろし、船を空っぽにします。

4.船底部の水面の位置が先ほどつけた印に達するまで、船に重しを乗せます。

5.重しを乗せた船の底部の水面の位置が、印に達した時の重量が象の重量です。

この方法を聞いた曹操は大変喜び、曹沖を褒めました。

方法は納得ですが、子供にしては聡明すぎますね。

 

 

アルキメデスVS曹沖 浮力を先に思いついたのはどっち!?

白い象に乗っている木鹿大王(南蛮族)

 

アルキメデスと曹沖はどちらが先に浮力の概念に気がついたのでしょうか。

 

アルキメデスは、紀元前287年 - 紀元前212年の間を生きていました。曹沖は西暦・紀元後196年 - 208年の間を生きていました。全然勝負になっていませんが、アルキメデスの圧勝です。

 

彼は古代ギリシャで数学、物理学、天文学といった理系学問、主に古典物理学を開拓していました。曹沖では足元にも及びません。とはいえ、疑問が残ります。なぜ、曹沖はこの方法を伝えられたのでしょうか?もう少し考えて見ましょう。

 

 

歴史的事実から考察-ローマ史-

曹操(後漢王朝)とローマ帝国

 

曹沖がこの方法を伝えられた理由としては、以下の可能性が挙げられます。

①自力で考えた。

②誰かに教わった。

①に関しては、可能性は否定できませんが、当時幼い曹沖には難しいと考えられます。②に関しては、十分考えられますがどこから伝えられたか、という問題があります。

 

単純に正解を知っているアルキメデスは、西洋の人間なので紀元前から中国とローマを繋いでいたと言われる、“シルクロード”経由で伝わった可能性があります。伝聞して伝わったことが曹沖の耳に届いたことも考えられます。

 

歴史上の記録から考察-中国史-

 

次に前述の内容とは別に歴史を遡り考察しました。実は、中国史において巨大な動物の重さを量る話は、三国時代に初めて出てきたものではありません。春秋戦国時代の(えん)の昭(~紀元前279年)の逸話が残されています。

 

昭襄王

 

ある人が燕の昭王に巨大な豚を献上して言いました。

 

「この豚は広いところでなければ住めず人糞でなければ食べません。名前は“豕仙”で、今百二十歳です。」王は役人にこれを養わせました。十五年後、その大きさは沙山のようになり、体の重みに自身の足が耐えられないほどとなっていました。王はこの豚の体重に興味を持ちましたが、重すぎて通常の方法では測れませんでした。そこで、船に浮かべて測るという、アルキメデスの方法を用いたと言われています。豕仙の体重は千鈞(三十斤)もありました。

 

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どこまでが本物か?

はてなマークな劉備と袁術

 

一見してこの話を曹沖が知りそれを伝えたように見えますが、その後のエピソードでは、豚は燕の宰相の進言で屠殺され、食べられてしまいます。その夜宰相の枕元には件の豚が現れ、人糞を食う日々から開放され、魯津の川の神である亀に生まれ変わることができた、と礼を言われました。後に宰相が魯津の川を渡ると、赤い亀が現れて壁玉を謙譲しました。

 

・・・ここまでくると、奇怪な話に見えます。そもそも、豚の体重三十斤なので、6トン程の重さとなるのですが、これは既に通常の豚の体重ではないです。こうした記録は、多少盛っている場合もありますが、盛り過ぎです。となると、正確な歴史上の事実というよりも脚色入りの記録、下手をすると後世に作られた作り話かもしれません。

 

結論は?とりあえず・・・

 

記録の真偽はさておき、とりあえず以上を踏まえて結論を考えました。

 

「象の重さを測る方法」は、まずアルキメデスにより浮力の概念を発見されたことに始まりました。それがローマからシルクロード経由で中国に伝達したと考えられます。春秋戦国時代の燕の昭王と豚のエピソードとして、真偽は別として中国におけるエピソードが生まれたと考えられます。曹沖のエピソードもそこで生まれたのかもしれません。

 

 

三国志ライターFMの独り言

FM

 

とりあえずの結論、ということで結構曖昧な結論のようになってしまいました。

 

とはいえ、曹沖のエピソードを真として考えるならば、諸々の記録から合理的に考えると、正解を知っているローマのアルキメデスの発見が中国に伝来した可能性が高く、それが中国史に埋め込まれた可能性は高いと思われます。

 

肝心の曹沖の話がフィクションかどうか不明ですが・・・、

 

曹沖自身が浮力の話を聞いて考え出したか、浮力の概念は知らずとも方法として曹操に伝えられた可能性もあります。なにより、シルクロード経由で伝えられた浮力の話だけで象の重さを測ることができた曹沖であれば、『その彼の死が曹操にとってどれだけ辛かったか』、このような想像をすると曹操が彼を溺愛していた記録と辻褄は合う気がしますね。

 

教育デザイン研究 創刊号 「象の重さを量る話―『三国志』曹沖伝、教材としての可能性―」岡田光博

 

 

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三国志は、大昔の出来事ですが、物語をいろいろな視点や切り口で見ていくと、新しくて面白い発見があるのが好きです。 人物像や対人関係、出来事、時代背景、逸話等々、古い話とはいえ、学ぶべきところはたくさんあります。 埃をかぶせておくにはもったいない、賢人たちの誇りがあります。

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