呂布の裏切り癖は臆病で優柔不断な性格の裏返しだった![真実の三国志]

2023年2月19日


呂布のラストウォー 呂布

 

呂布(りょふ)後漢(ごかん)(25年~220年)の末期の群雄の1人です。弓術と馬術に優れていたことから、「飛将(ひしょう)」と呼ばれていました。

 

呂布のラストウォー 処刑される呂布

 

定まった領土を持たずに群雄の間を転々としたので、群雄の間での評判は芳しくありません。そのため建安(けんあん)3年(198年)に曹操(そうそう)劉備(りゅうび)の連合軍に敗れて捕縛されて死刑になりました。

 

呂布

 

ところで、呂布の人柄はどんなものでしょうか。今回は呂布の人柄について解説します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呂布の人柄その1:ビビり 上司の女に手を出す

丁原(ていげん)

 

呂布はもともと、并州(へいしゅう
)
丁原(ていげん)の配下でした。

 

呂布に殺害される丁原(ていげん)

 

しかし、董卓(とうたく)からスカウトを受けたので丁原の首と軍隊を土産に董卓につきました。

 

董卓と呂布

 

また、董卓とは親子の契りも結びました。

 

袁家をイジメる董卓

 

ところが思った以上に董卓はキレやすい体質の人間でした。何が原因か不明ですが、呂布に向けて戟をぶん投げたことがあったようです。

 

貂蝉と呂布

 

腹いせのつもりなのか、この後で董卓の女に手を出しています。

 

貂蝉を奪い合う董卓と呂布

 

しかも、これでビクビクしていたのです。ただのビビりですね・・・・・・

 

 

 



呂布の人柄その2:5秒で説得される

王允

 

そんなビビっている呂布に目を付けたのが、王允(おういん)です。王允は董卓暗殺を呂布に持ちかけました。

 

王允と呂布

 

しかし呂布は渋っていました。

 

王允と呂布

 

「私は董卓様と親子の契りを結んでいますので・・・・・・」

ところが王允も負けていません。

 

「あなたの姓は『呂』です。彼の姓は『董』です。何を遠慮する必要がありますか?」

「それもそうですね」

 

呂布に暗殺される董卓

 

このように5秒の会話で説得された呂布は、あっさりと董卓を殺害しました。

 

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

思考回路がヤバイくらい単純すぎます。

 

 

ちなみに、この話があまりにも薄っぺらいためなのか、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では美女の貂蝉(ちょうせん)を登場させて話に面白みを持たせています。

 

 

関連記事:呂布は最初から裏切り者だったわけじゃない!きっかけは?

 

 

呂布の人柄その3:厚顔無恥 劉備激おこぷんぷん丸事件

袁術に助けを求める呂布

 

董卓を殺した後に呂布は袁術(えんじゅつ)袁紹(えんしょう)の所に行きます。なぜなら、董卓は2人の親族を殺していました。董卓を殺した呂布は2人にとっては恩人です。

 

袁術にたかる呂布

 

ところが呂布は2人の所で尊大に振る舞いました。なぜなら、袁紹も袁術も朝廷から正式に任命されている太守ではありません。勝手に自分たちで名乗っていたのです。

 

騙し合う呂布と袁術

 

その点、呂布は正式任命の将軍です。要するに正社員とアルバイトの差と一緒と考えていただければ結構です。結局呂布は、袁術からは追い出され、袁紹からは刺客を放たれる始末です。

 

呂布と劉備

 

どうしようもない男です。仕方なく、呂布は劉備のもとまで落ち延びました。呂布はお礼に劉備を自分のテントまで案内しますが、この時に以下の行動に出ます。

 

(1)劉備と兄弟関係を結ぶも、なぜか劉備は「弟」。

(2)劉備を自分の妻のベッドに座らせる。

(3)自分の妻に劉備と挨拶させて、酌もさせる。

 

(1)については呂布の年齢が不明なので調べようがないですけど、恩人に対して弟はないと思います。

(2)については普通は椅子ぐらい出しますよね。

(3)について現代の日本人の感覚では分からないので解説します。

 

実は昔の中国では自分の妻を他の男に会わせるのは非常に失礼なことでした。要するに、自分の妻を素っ裸にして他の男に会わせると思っていただければ結構です。

 

「大袈裟だな!」と思うかもしれませんが本当の話です。

 

皇帝に就任した曹丕

 

それぐらい昔は厳格だったのです。ちなみに曹丕(そうひ)夏侯惇(かこうとん)にも同様の話が残っています。劉備は上記の行動と呂布の言葉に一貫性が無いので内心では相当腹を立てていたようです。

 

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が呂布の人柄でした。呂布の人柄はマイナス面が多く見られるものばかりです。

 

呂布

 

一介の武将としては、やっていけるレベルでしょうが総大将となるとやっていけないレベルの人物です。

実際に人柄がわざわいして、最期はあっけなく殺されています。

 

※参考文献

・高島俊夫『三国志 「人物縦横断」』(初出1994年 のち『三国志 きらめく群像』ちくま学芸文庫 2000年に改題)

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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