皆さんは黄皓についてどんな印象を抱いているでしょうか。劉禅を堕落させた陪臣?
姜維を陥れた悪臣?蜀の崩壊の原因そのもの?これらのイメージには筆者も概ね同意見なのではありますが、黄皓にもまた色々な面もあったのです。そこで今回は黄皓について、特に劉禅や姜維との、何よりも陳寿との関係を追いかけていきたいと思います。
姜維と黄皓の関係を見直していく
まずはちょっと黄皓と姜維との関係を見ていきましょう。
「黄皓と姜維」というと、北伐を頑張る姜維の邪魔をし続ける厭らしい性格の黄晧、というイメージが湧いてしまいます。というのも黄晧は援軍要請を受け付けないようにしたり、北伐に反対したりしてるので、姜維の邪魔をした、姜維を陥れた人物という印象があるのは避けられないでしょう。
しかし実際には姜維が北伐を始めた当初、黄晧は北伐に反対していないのです。この北伐に反対の声が上がり始めたのは、段谷の戦いで姜維が魏の将軍である鄧艾に大敗してしまったことがきっかけです。
鄧艾に対抗するために姜維は何としても北伐を再開したい、しかし当然ながら敗北で国力が削がれてしまっているので、民衆たちから見れば北伐は止めて欲しい。ここで黄晧を始めとした北伐反対派が出てきますが、内政をしている文官たちからすれば民衆の意見を無視できないので当然とも言えるでしょう。
これらを加味して考えると、黄晧は決して自分勝手に姜維の北伐を邪魔したとは言えないと思います。もちろん姜維から見れば自分の役目を邪魔する人物に見えてしまうかもしれませんが……。
劉禅は本当に黄皓の操り人形だったのか?
ここから劉禅と黄晧の関係を見ていきましょう。劉禅は黄晧によって酒色に耽らされ、堕落させられた、と言われています。良くあるのが「劉禅は黄晧によって操り人形とされた」というものですね。
しかし劉禅は確かに鄧艾に敗北した後に姜維の北伐を中止させていますが、その後、四年後にまた北伐を行わせているのです。
劉禅が積極的に北伐をやった訳ではなく、姜維に再び軍権を与えてからの姜維の行動のようですが、これを見る限り劉禅は全くの操り人形であった訳ではないことが分かります。
また黄晧によって専横されたように言われることもありますが、姜維の北伐に反対して呼び戻すように進言していた人物として、諸葛瞻、董厥などもいるので、決して黄晧によって専横されていた訳でもなければ、劉禅は黄晧の操り人形でもなかったのです。
黄皓と陳寿との驚きの因縁!
どうしてここまで黄皓の責任として、黄皓が蜀を滅ぼした原因のように書かれてしまったのでしょうか?
これに対する回答として、陳寿との関係があります。
三国志の著者と言われる陳寿は、元々は蜀の役人でした。しかし陳寿は免職にされます。この陳寿を免職にした人物こそ、何を隠そう黄晧なのです。
つまり陳寿はもしかしたら、私情もあって黄晧を悪人として記録した……可能性もあると思います。またどうしても一国が滅んだともなると、誰が原因かと言われるようになりますよね。蜀に仕えていた陳寿は誰それと悪人にする訳にもいかず、丁度良く私怨のあった黄晧を全ての原因としてしまったのではないか、と筆者は考察しています。
黄皓は私腹を肥やした悪人であったのか?
さてこれは三国志演義の話ですが、黄晧は魏から賄賂を貰って姜維の北伐を邪魔する人間として描かれています。私腹を肥やし、国を専横し、同僚の邪魔をする……一言で言って最低の人物です。
ですが実際には、黄皓は私腹を肥やしたという史料はありません。鄧艾によって処刑されそうになったのを賄賂で逃げた、とされているだけです。つまり国を好き勝手して私腹を肥やすようなテンプレートな悪人ではないのです。
しかしこれだけ悪名が高かったにも拘わらず、命は守り切った。要するに黄晧は保身能力に長けている……つまり無能ではなかったという証明ではないでしょうか?とは言え、やはり黄晧が蜀の崩壊の一要因であったことは否定できません。
その能力をもうちょっと別の面で活かしていたら……蜀の未来は、もう少しばかり変わっていたかもしれませんね。
三国志ライター センのひとりごと
黄皓というのは、どうしても蜀を滅ぼした原因として書かれることが多いです。しかし蜀を滅ぼした原因の一人であったとしても、決して無能ではありません。
蜀のファンとしてはついつい腹が立ってしまう人物ではありますが、色眼鏡で見ずに一個人として彼の評価を少しだけ見直してみたいですね。
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