兗州のほとんどを手に入れることに成功した智謀の士・陳宮。しかし陳宮は徐州から帰ってきた曹操軍に敗北し、兗州を奪われてしまいます。どうして兗州のほとんどを手に入れたのに奪われたのか。
今回はその原因について考察してみたいと思います。
この記事の目次
陳宮は兗州をゲットするも…
陳宮は曹操が徐州へ遠征している間に曹操の親友・張邈や張邈の弟・張超らを巻き込み、呂布を兗州へ向かい入れます。この時、陳宮は曹操が治めていた兗州の城の内、三城を残してほとんど手に入れることに成功。
しかし陳宮は徐州から帰ってきた曹操に兗州をすべて奪われてしまい、徐州へ逃亡することになります。どうして陳宮は曹操に敗北してしまったのでしょうか。
曹操に兗州を奪われた原因その1:徐州から帰還する曹操軍を迎撃しなかったから??
陳宮はどうして兗州のほとんどを手に入れることに成功しますが、どうして曹操に兗州を奪い返されてしまったのか。
その原因の一つとして、徐州から帰還してくる曹操軍を迎撃しなかった事が考えられます。
曹操は徐州から帰還すると「呂布は濮陽に駐屯しているのか。もし呂布が徐州から帰ってくる私の軍を迎え撃てば、間違えなく私はやられていただろう」と配下に語っていました。
陳宮は曹操の言う通り呂布に大軍を預けて帰ってくる曹操軍と戦わせるべきでした。陳宮は呂布と曹操が戦っている間に、兗州内に残っている曹操の領土を攻撃してしまえば、援軍のやってこない兗州内の曹操の領土となっている城を攻略することができたでしょう。
しかし陳宮は呂布に大軍を与えることなく、そのまま濮陽に大軍を駐屯させてしまっていたため、曹操に兗州を奪わることになってしまったのです。
曹操に兗州を奪われた原因その2:戦術家として経験不足
曹操に兗州を奪われた原因その2:戦術家として経験不足だったことが考えられます。陳宮は弁舌や謀略などに優れた人物でしたが、戦術面においては経験値が不足していました。
陳宮は正史三国志によれば曹操配下のころ、陳宮が戦場で活躍していた記述がありません。陳宮は正史三国志の中で戦の記載が出てくるのは、兗州を奪い、曹操の領土・東阿城を攻撃した時に記載が登場しますが、東阿城を攻略することができずに失敗。
その後陳宮は呂布と一緒に東緡から出撃し、兵数の少ない曹操軍へ攻撃を行いますが、曹操軍の伏兵攻撃と奇襲攻撃によってこの戦いも敗北してしまいます。
そのため陳宮は謀略面において優れた人物でしたが、戦術家としてまだまだ経験値が不足していた為、曹操軍に兗州を奪われたと考えることが出来るでしょう。
仮にもし陳宮に戦術家として優れた能力も兼ね備えていれば、曹操軍を全滅させることもできたかもしれません。
曹操に兗州を奪われた原因その3:陳宮の記載がない!?
曹操に兗州を奪われた原因その3は陳宮の記載がない事です。
正史三国志・曹操伝や呂布伝は陳宮が呂布の為に曹操が保有していた兗州の大部分を奪った後、東阿城と東緡から出撃した以外、彼の行動がほとんどかかれていなく、行動が不明になってしまいます。
陳宮はいったいどこで何をしていたのでしょうか。
陳宮は兵糧を集めていたと考えられます。兗州近辺は陳宮が兗州のほとんどを奪った時、不作でほとんど米がとれない状態だったそうです。その証左として当時のコメの値段は一石(30キロ)=50万銭以上していたそうです。
そのため陳宮は兗州の各地を回って濮陽城に兵糧を集め、曹操軍との戦いに備えていたと考えられるのではないでしょうか。そのほかに陳宮が兗州を奪った後、正史三国志に記載されていない理由としては、呂布に嫌気がさしてしまった事が挙げられます。
正史三国志では陳宮が呂布に献策してもほとんど取り上げてくれない状況が続いていたと記載されています。
このため陳宮は兗州を奪った後、曹操軍を迎撃する作戦を呂布にいくつか提案していたにもかかわらず、献策が採用されなかったため、呂布の元を離れて単独で行動していたと考えることもできるでしょう。
もし陳宮が単独で行動せず、呂布としっかりと協力体制を築いていれば、曹操軍を滅亡させることもできたのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は陳宮が計画した兗州戦について考察してみました。
もう一つ兗州戦が失敗した原因を挙げるのであれば、不作であるにもかかわらずイナゴがやってきたせいで、穀物が全滅してしまったことです。そのため呂布軍は兵糧を手に入れることが難しくなり、濮陽城を捨てて本拠を移すことになります。
対する曹操は棗祗が東阿城に兵糧を蓄えていたため、呂布に反撃するために兗州の諸城へ攻撃を行っていきます。もしイナゴがやってくることがなければ、濮陽城の兵糧が無くなる前に味方の城から兵糧を輸送することが出来たのではないのでしょうか。
濮陽城に兵糧が補充されれば、曹操軍が呂布に勝つのは非常に難しかったと思われます。
■参考 正史三国志魏書など
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