1885年12月22日、日本における近代的な内閣制度がスタートしました。初代内閣総理大臣には「伊藤博文」が就任。日本初の内閣は、近代国家への第一歩として、大日本帝国憲法制定に向けた重要な布石となったのです。
驚きの組閣メンバーとは?
初代内閣は「伊藤内閣」と呼ばれ、総理大臣の伊藤博文のもと、初代外務大臣には井上馨、内務大臣には山県有朋、そして大蔵大臣には松方正義と、明治維新を支えた面々が名を連ねました。まさに当時の政治のエリートが勢揃いした布陣です。
なぜ「太政官制」から「内閣制度」へ?
それまで日本は「太政官制」と呼ばれる政治制度を用いていました。しかし、近代化を急ぐ中で西洋の制度を取り入れる必要があり、内閣制度が導入されました。国政を明確に分担し、総理大臣が中心となって政府をまとめる形へと進化したのです。
伊藤博文の功績と新時代の幕開け
伊藤博文は後に初代韓国統監としても知られますが、日本の近代化には欠かせない立役者。彼が率いた初代内閣は、後の政治体制や憲法制定にも大きな影響を与えました。
まとめ
今では当たり前となった「内閣制度」の始まりは、わずか140年ほど前のこと。日本の近代化を支えた「伊藤内閣」に思いを馳せてみると、歴史の重みを感じられるかもしれませんね。
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