広告

[12月22日は日本初の内閣が誕生した日]1885年、日本初の内閣がついに組閣

2024年12月22日


国会議事堂

 

1885年12月22日、日本における近代的な内閣制度がスタートしました。初代内閣総理大臣には「伊藤博文」が就任。日本初の内閣は、近代国家への第一歩として、大日本帝国憲法制定に向けた重要な布石となったのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



驚きの組閣メンバーとは?

伊藤博文

 

初代内閣は「伊藤内閣」と呼ばれ、総理大臣の伊藤博文のもと、初代外務大臣には井上馨、内務大臣には山県有朋、そして大蔵大臣には松方正義と、明治維新を支えた面々が名を連ねました。まさに当時の政治のエリートが勢揃いした布陣です。

 

 

なぜ「太政官制」から「内閣制度」へ?

 

それまで日本は「太政官制」と呼ばれる政治制度を用いていました。しかし、近代化を急ぐ中で西洋の制度を取り入れる必要があり、内閣制度が導入されました。国政を明確に分担し、総理大臣が中心となって政府をまとめる形へと進化したのです。

 

 

伊藤博文の功績と新時代の幕開け

 

伊藤博文は後に初代韓国統監としても知られますが、日本の近代化には欠かせない立役者。彼が率いた初代内閣は、後の政治体制や憲法制定にも大きな影響を与えました。

 

 

まとめ

 

今では当たり前となった「内閣制度」の始まりは、わずか140年ほど前のこと。日本の近代化を支えた「伊藤内閣」に思いを馳せてみると、歴史の重みを感じられるかもしれませんね。

 

▼こちらもどうぞ

[12月17日は太陽の石が発掘された日]失われた文明の謎を解く!

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

-外部配信