三国志ってなにそれおいしいの?
そんな、はじめて三国志に触れる方に、小見出しをざらっと読むだけで、5秒で三国志がわかったような気分になれる〇三五三(ゼロから三国、五秒で三国)のコーナーです。
はじめて三国志に触れたとき、一番いらっとするのはなにかといえば、「名前が読めない」ことだと思います。
三国志を熟知されている方には、とてもまどろっこしいかと存じますが、このコーナーでは、なるべくふりがなをたくさんふりたいと思います。
どうかご了承ください。
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この記事の目次
三つの国の名前は、魏・呉・蜀
『三国志』は西暦200年頃、中国が三つの国に分裂して戦っていましたよ、という話です。その三つの国の名前が、魏(ぎ)と呉(ご)と蜀(しょく)です。
魏は、中国の華北地帯を治め、人口は2千600万人あまり。
呉は、長江以南の地帯を治め、人口は1千数百万人あまり。
蜀は、現在の四川省のあたりを治め、人口は数百万人あまりでした。
規模の違いは歴然としています。言ってみれば、日本の本州が魏で、九州が呉で、四国が蜀のような感じです。
三人の君主の名前は、曹操・孫権・劉備
魏の君主は曹操(そうそう)
魏の君主といえば、曹操です。
曹操で、押さえておきたい言葉は、「治世の能臣、乱世の奸雄」です。
意味は、「平和な世の中ではただの優秀な臣下だが、戦国時代のような乱世であれば、のしあがる危険な人物」ということです。
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呉の君主は孫権(そんけん)
呉の君主といえば、孫権です。
孫権で、押さえておきたいことは、孫家の三代目ということです。
呉は、孫権の父、孫堅の代から始まり、兄、孫策を経て孫権の代になります。父子で名前の読み方が一緒で混乱しますが……中国語では同じではないようです。
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蜀の君主と言えば劉備(りゅうび)
蜀の君主といえば、劉備です。
劉備で、押さえておきたいことは、「桃園(とうえん)の結義」です。三国志演義では主人公でもあります。
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桃園の結義
若いころ、意気投合した劉備・関羽・張飛の三人が、義兄弟の契りをかわし、「生死を共にしよう」と誓いあうことです。
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三国志と言えば赤壁の戦い
西暦208年、魏の曹操が呉の孫権の支配地域の江東・江南地区に侵攻してきました。
圧倒的な国力を誇る魏との戦いを前に、孫権と劉備は手を組み、ともに赤壁という場所で曹操を迎え撃ちます。赤壁は、現在の武漢から長江を100キロほどさかのぼったあたりです。
この海戦では、呉の周瑜と蜀の諸葛孔明が策略を巡らして魏軍を火攻めにし、魏の大軍を呉・蜀連合軍が見事に破りました。
この戦いを赤壁の戦いといいます。三国志の中でも最も有名な戦いのひとつです。
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とても分かりました。