1180年、武士として初めて太政大臣に就任した平清盛。この地位は、それまで天皇の親族や貴族しか就けなかった最高官職。つまり、清盛は武士として史上初めて朝廷の最高権力に到達した人物だったのです。
武士が貴族を超えた瞬間
それまで、武士は貴族に仕える存在でした。しかし、清盛は武力だけでなく経済力も駆使し、宋(現在の中国)との貿易で莫大な富を築きました。これが、武士の台頭を決定づける要因となり、後の鎌倉幕府誕生の布石となったのです。
なぜ清盛は太政大臣を辞任したのか?
しかし、清盛はわずか3ヶ月で太政大臣を辞任します。理由は「武士の頂点に立ったが、朝廷のしがらみが多すぎて思うように動けなかった」ためと言われています。その後、清盛は朝廷を支配するのではなく、自らの政権を築く道を選ぶことに。
まとめ
平清盛の就任は、武士が日本の歴史を変える大転換点でした。もし彼が長く政権を握っていたら、日本の歴史はどう変わっていたのでしょうか?
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