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[3月10日は東京大空襲発生日]一夜で焼け野原…東京に降り注いだ「火の雨」

2025年3月10日


モブ朝まで三国志

 

1945年3月10日未明、東京は未曾有の大空襲に襲われました。アメリカ軍のB-29爆撃機約300機が東京の下町を中心に焼夷弾を投下。木造家屋が密集する地域では火災旋風が発生し、一晩で約10万人が命を落としました。これは広島・長崎の原爆に匹敵する犠牲者数とされています。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「無差別爆撃」という戦術の転換

 

この空襲は、軍事施設を狙ったものではなく、民間人を標的とした無差別爆撃でした。アメリカ軍は、これまでの精密爆撃から「焼夷弾による都市壊滅作戦」へと戦術を変え、日本の主要都市を次々と攻撃していきました。

 

 

 

戦後に与えた影響とは?

 

東京大空襲は戦争の終結を早めたとする意見もありますが、無防備な市民が大量に犠牲になった点で、戦争犯罪ではないかという議論もあります。戦後、日本の都市計画は防火対策を重視する方向に転換し、耐火建築や広い道路の整備が進められました。

 

 

まとめ

 

東京大空襲は決して過去の出来事ではなく、戦争の恐ろしさを今に伝える歴史的な教訓です。私たちがこの事実をどう受け止め、未来に生かすかが問われています。

 

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