貞観8年(866年)4月28日、平安京の正門「応天門」が突如炎上!これが“応天門の変”です。火事の原因は不明でしたが、当時の政敵・伴善男が大納言・源信を陥れるために放火したとされ、一気に政治スキャンダルに発展します。
放火事件が貴族社会の勢力図を塗り替えた?
応天門の変をきっかけに、源氏と藤原氏の連携が強まり、藤原良房が摂政となる大きな転機に!まさに一夜の火災が、日本史を動かすほどの政治的影響を与えたのです。
陰謀?濡れ衣?歴史のミステリーは未解決
伴善男は犯人とされ流罪となりましたが、証拠は曖昧。今でも「冤罪説」がささやかれており、平安時代最大級の“未解決事件”のひとつとも言えるでしょう。
まとめ
あなたは、歴史に仕組まれた陰謀を見抜けるでしょうか?応天門の炎の奥に潜む真実、調べてみると面白いかもしれませんよ。