1878年5月14日、東京・紀尾井坂で、日本初の内閣制度に影響を与えた大久保利通が暗殺されました。明治維新の立役者として近代国家建設を進めていた彼の死は、日本に大きな波紋を広げました。
犯人は元士族、動機は“政府批判”
実行犯は不平士族の集団「士族反乱」の一部で、維新後に冷遇された旧武士たちでした。急速な近代化に不満を募らせ、旧来の武士道精神の復活を求めていたのです。
坂の名前に残る事件の記憶
「紀尾井坂」は紀伊・尾張・井伊の屋敷が並んでいたことから名付けられた地名ですが、今では「紀尾井坂の変」でその名を知る人も多い歴史スポットとなっています。
まとめ
“維新の英雄”が暗殺された坂道。その背景には急激な変革に取り残された者たちの怒りがありました。現代の紀尾井町を歩くとき、彼らの思いに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?