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[6月21日は本能寺の変が起こった日]裏切り?策略?光秀の「変」が日本を変えた日

2025年6月21日


明智光秀(麒麟がくる)

 

 

1582年6月21日(天正10年6月2日)、織田信長が家臣・明智光秀の謀反によって京都・本能寺で自害した事件——それが「本能寺の変」です。この日を境に、日本の戦国史は一気に動き出しました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「敵は本能寺にあり」の裏にある真相

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀

 

有名なセリフ「敵は本能寺にあり」は、実は創作。江戸時代以降の講談などで広まったものです。本当のセリフは記録に残っていません。さらに、光秀の動機もいまだ謎。怨恨説、野望説、黒幕説など、諸説入り乱れています。

 

 

わずか11日で終わった天下取り

 

本能寺の変ののち、光秀は“天下人”になる目前でしたが、わずか11日後、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗北。日本史上、最も短命の「勝者」としても知られています。

 

 

もし信長が生きていたら、日本はどうなっていた?

 

本能寺の変がなければ、江戸幕府もなかったかもしれません。歴史の“もしも”を想像すると、ワクワクしてきませんか?

 

 

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