1582年6月21日(天正10年6月2日)、織田信長が家臣・明智光秀の謀反によって京都・本能寺で自害した事件——それが「本能寺の変」です。この日を境に、日本の戦国史は一気に動き出しました。
「敵は本能寺にあり」の裏にある真相
有名なセリフ「敵は本能寺にあり」は、実は創作。江戸時代以降の講談などで広まったものです。本当のセリフは記録に残っていません。さらに、光秀の動機もいまだ謎。怨恨説、野望説、黒幕説など、諸説入り乱れています。
わずか11日で終わった天下取り
本能寺の変ののち、光秀は“天下人”になる目前でしたが、わずか11日後、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗北。日本史上、最も短命の「勝者」としても知られています。
もし信長が生きていたら、日本はどうなっていた?
本能寺の変がなければ、江戸幕府もなかったかもしれません。歴史の“もしも”を想像すると、ワクワクしてきませんか?