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[7月12日は弥生時代の銅剣358本が見つかる]大量の銅剣、なぜまとめて埋められていた?

2025年7月12日


古墳時代服装男女(弥生)

 

1983年7月12日、島根県の荒神谷遺跡で、なんと弥生時代の銅剣358本が一度に出土するという前代未聞の発見がありました!それまで日本全国で見つかっていた銅剣の合計よりも多く、歴史学界を騒然とさせました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武器?儀式具?その用途はいまだ謎

 

これだけの銅剣が一箇所に集中していた理由は、いまなお謎。戦争用とは考えにくく、祭祀や権力の象徴だったという説が有力です。中には使用された形跡のない“新品同様”の剣もありました。

 

 

 

弥生時代は思ったよりハイテク?

 

鋳造技術の高さも驚きのポイント。当時の日本が想像以上に高度な文明を持っていたことを示す証拠として注目されています。

 

 

 

まとめ:あなたの足元にも、歴史の宝が眠っているかも?

 

358本の銅剣が語る古代のロマン。次に遺跡や史跡を訪れるとき、そこに埋もれている“物語”に思いを馳せてみては?

 

 

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