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[7月30日はモリソン号事件が起こった日]黒船の前に来た善意の船があった!?

2025年7月30日


黒船(ミシシッピ号)

 

1837年7月30日、日本の浦賀沖に現れたのは、米国商船「モリソン号」。目的は漂流して救助された日本人を送り届け、ついでに貿易交渉をしたいという友好的なもの。しかし、江戸幕府はその船を砲撃します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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なぜ撃たれた?理由は「異国船打払令」

 

当時の日本は鎖国中。外国船は見つけ次第、警告なしに撃退せよという厳しい方針「異国船打払令」が出ていたのです。たとえ人道的な理由で来航した船でも例外ではありませんでした。

 

 

 

この事件が歴史を動かした!

 

モリソン号事件は、のちに日本国内で「このままでいいのか?」という議論を巻き起こし、開国への機運に火をつける一因となりました。皮肉にも、閉ざされた国の未来を動かしたのは、一発の砲撃だったのです。

 

 

まとめ:善意と砲撃が交錯したこの事件、あなたならどう判断する?

 

鎖国か、対話か。当時の日本に突きつけられた問いは、いまもなお、国際関係の根幹に通じるテーマかもしれません。

 

 

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