(画像:夏目漱石 Wikipedia)
我らが日本を代表する文豪・夏目漱石は『草枕』において、陶淵明の「飲酒」〈其の五〉の2句を引用しています。菊を採る東籬の下、悠然として南山を見る。夏目漱石は愛だの正義だのと俗っぽい西洋詩に比べて、東洋詩には俗世のわずらわしさをすっかり忘れさせてくれる傑作があるとして、この詩を紹介しています。
「東側の垣根の辺りに咲く菊を手折りつつ、ゆったりとした気持ちで顔を上げると南方の雄大な山の姿が目に入る」たしかに、この部分だけでも、夏目漱石が唱えた「則天去私」の境地がわかるような気になりますよね。
この記事の目次
つかみどころのない連作「飲酒」詩
陶淵明の「飲酒」詩は、実は〈其の二十〉まで続く連作詩となっています。しかし、「連作なのか?」と思われるほどその内容はまちまちです。その全てを引用するのは大変なので差し控えますが、それぞれの内容を要約すると、大体次のようになります。
〈其の一〉
栄枯盛衰のはかなさを想うが、とりあえず今は酒を飲んで楽しもう。
〈其の二〉
善いことが必ずしも報われない世ではあるが、かつて貧乏を楽しんで後世に名を残した大隠者のように自分も貧乏を楽しみながら隠居しよう
〈其の三〉
世間の人は功名心に駆られて酒も飲まずにあくせくと働いているが、一度きり、それもあっという間の人生なのだから、自分を大切にすればいいのに。
〈其の四〉
群れからはぐれた鳥が不安げに飛んでいたが、ようやく青々と茂った松に身を寄せた。その松から一生離れてはいけないぞ。
〈其の五〉
雄大な山や山に帰る鳥の姿など、美しい自然に天地万物の真理が感じられる。
〈其の六〉
俗人どもは何かあると白黒はっきりさせたがり、付和雷同して褒貶を交わし合う。私は彼らのようにはなりたくない。
〈其の七〉
菊を酒に浮かべて飲むと、俗世間から遠く離れた心地がする。今日も生きるということを満喫できた。
〈其の八〉
真に才のある者は普段俗人の中に埋もれていても、いざというときにその頭角を現す。しかし、私の人生は夢や幻のように一瞬だけ。わざわざ世俗に身をつながれる必要があるだろうか。
〈其の九〉
村のじいさんが酒を片手に訪ねてきて、自分の暮らしぶりに苦言を呈してきた。じいさんの言うこともわかるけれど、私は自分の志に背くことはできない。
〈其の十〉
かつて仕官したが、どうにもうまくいかなかった。仕官することは善いことというわけでもないだろうし、腹を満たすくらいなら役人にならずともなんとかなるだろう。
〈其の十一〉
死んでしまえば何の意味もない。生きている間に自分が満足することが大切なのだ。
〈其の十二〉
世間はいつも騙し合いだ。そんな世間のいい加減な言葉など振り払い、心の向くまま気の向くままに生きようではないか。
〈其の十三〉
しらふでいるより酔いつぶれていたほうが賢明だ。酔っ払いども、日が暮れたら燭台に火を灯し、さらに酒を楽しみなさい。
〈其の十四〉
友人が私の隠居生活を気に入ってくれたらしく、酒を持って訪ねてきてくれた。世の人は地位だの名誉だのうるさいが、酒の中にこそ深い味わいがあるというものだ。
〈其の十五〉
人はあっという間に老いてしまう、貧乏だの出世だのといったつまらないことへの執着を捨てなければ、平素から抱く志が無駄になる。
〈其の十六〉
私は若い頃から世間と関わることがなかったが、四十になろうとしているのに何も成し遂げていない。その上、自分をよく理解してくれる知己もいない。心が沈むばかりである。
〈其の十七〉
仕官の道を捨ててしまったことに迷いを覚えるが、自然の流れに身を任せればいつかその心理にたどり着けるはずだ。仕官して功を挙げても、事が終われば用済みにされてしまう。
〈其の十八〉
漢代の高名な学者・揚雄は酒好きだった。彼は酒を持ってきた人と楽しく飲み交わして談笑したが、他国を滅ぼそうという相談には口をつぐんだ。仁者というのはこのように用心深いものだ。
〈其の十九〉
貧乏を苦にして役人になった自分の心を恥じ、郷里にもどってきてから十年の歳月が過ぎた。相変わらず貧乏ではあるが、濁酒を作りながらの生活は意外と悪くない。
〈其の二十〉
かつて孔子という爺さんが世直しせんと奔走したが、今ではその影すらも見当たらない。まぁ世を捨てた自分がそんなことを嘆くのもおかしなことだ。
詩から浮かび上がる陶淵明の迷い
酒を飲みながらダラダラと持論を展開する陶淵明。隠居生活は最高だと言っていながら友だちがいないと嘆いてみたり、世を捨てたはずなのに俗世を儚んでみたりとブレブレです。高節の隠逸詩人と称される陶淵明ですが、その心には常に迷いがあったのですね。
三国志ライターchopsticksの独り言
一貫して高い志を掲げ続けられるのは漫画のヒーローくらいでしょう。陶淵明のブレブレな心は、かえって人間くさくて魅力的なのではありませんか?
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