激動の幕末の中心人物であり、幕府を打倒し明治維新をなし、そして盟友であった西郷隆盛と決別し、暗殺された「幕末三傑」と称される大久保利通(おおくぼとしみち)。彼の残した名言、格言、そして座右の銘。そして最後の言葉を紹介します。彼の残した言葉の意味について一緒に考えてみましょう。
大久保利通の名言と意味を1つずつ解説
大久保利通は多くの名言、格言を残しています。まずは、その言葉を紹介していきます。「彼は彼、我は我でいこうよ」という言葉があります。自分の信じる道を行くという強い意志を感じさせる言葉です。薩摩という質実剛健が尊ばれる土地にあって、大久保利通は病弱であったと伝わっています。それでも頭脳は明晰でした。
大久保利通は「頭脳」で道を切り開くという決意を幼いころからしていたのです。そのような一徹さ、揺るがない信念を感じさせる言葉です。かっこいい言葉なのですが、中々言えることではありません。「空気読め」という言葉があるように、日本の文化は「和」を重視し、皆に同調するのが良いこととされています。
しかし、幕末という動乱の時代に皆に同調するような人間ばかりでは、日本という国はどうなっていたか分かりません。当時は、欧米によるアジアの植民地化が進んでいました。そのときの日本が直面していた危機を踏まえ、大久保利通の名言、格言の意味を考えていきましょう。
「今日のままにして瓦解せんよりは、むしろ大英断に出て、瓦解いたしたらんにしかず」
「この難を逃げ候こと本懐にあらず」
「国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない」
「目的を達成する為には人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいたら物事は進まない。そういうものを振り切って、前に進む」
幕末から明治維新にかけ、新たしい国家を創り上げていくこと。これは想像を絶する難事であったでしょう。幕藩体制という、統治システムを破壊し、近代国家としての日本を創る。そして、その破壊には当然抵抗勢力が国内に生まれます。もし国が大きく割れるような内乱が起きていれば、欧米諸国はその隙に乗じて、植民地化を狙ってくるでしょう。内も外も油断のできない、非常に厳しい時代です。しかし、何もしなければ瓦解する。つまり日本という国は壊れ植民地化される道をたどるしかないと判断したのでしょう。
私たちは幕末から明治維新という時代を未来から見ています。未来を知りながら幕末から明治維新を見ています。しかし、その時代を生きる大久保利通や同時代の偉人たちに、確かな未来が見えていたわけはないのです。とにかく信じた志を貫くしかないという決意、日本という近代国家を創り上げるとための思いが、大久保利通の名言、格言と言われる言葉にはこもっているのではないでしょうか。そして盟友、西郷隆盛への言葉も残しています。これも名言、格言として現代に伝わっています。
「おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が…」
まるで、小説の名言のようなかっこいい言葉です。しかし、時代の中で実際起きたことであること、大久保利通と西郷隆盛の関係を考えると、なんという悲しくそして、大久保利通の揺るがぬ強い信念を感じさせる言葉ではないでしょうか。そして、大久保利通は、西郷隆盛についてこう語っています。
「自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない」
近代日本を創るうえで、武士階級の不満はどうにもならないところに来ていました。その不満は西南戦争という形で吹き出し、西郷隆盛はその首魁として明治政府に対し反乱を起こます。大久保利通の盟友であった彼は、そこで最期を迎えるのです。この戦争が明治最後で、最大の反乱でした。その後、日本は近代国家の建設を進め、その歩みは加速していくのです。確かに大久保利通の残した言葉の通り、西郷隆盛の死が日本近代化の礎となったと言えるのではないでしょうか。そして決して大久保利通は西郷隆盛を見捨てたわけではないのです。
むしろ西郷隆盛を助けようとし、政府に止められたのです。大久保利通には、怜悧な人間であり西郷隆盛を裏切ったという風説もありますが、それは事実とは違います。残された名言、格言の意味を、幕末、明治維新という時代の中で生きる人間の立場に立って考えた時、そこには生々しい危機の時代の中に生きてきたリアルな思いがこもっていることが分かります。大久保利通を含め幕末から明治の偉人達は、日本という国家の生き残りをかけ戦っていたのです。確かな未来など見えない中で、必死に戦いその中で残した言葉なのです。
大久保利通の座右の銘は?
大久保利通の座右の銘には
「堅忍不抜」、「為政清明」
という言葉があります。「堅忍不抜」はどんなことがあっても強い意志で耐え抜くという決意を表す言葉です。「為政清明」は政治家という者は清らかな身でなければいけないという意味です。さて、今の政治家の中にこの思いを持ってどれくらいいるのでしょうか。また、政治家でなくとも、強い意志を持つこと、精錬潔白であることは、人間として生きていく上でも非常に大切なことです。おそらく、座右の銘を持っているという人は少ないでしょう。
ちなみに私の知り合いの社長は「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という座右の銘を持っていました。初めて聞いたときはただ「かっこいいな」と思ったものです。しかし、座右の銘を持つといのは、ただかっこいいというだけでありません。それは、人間としての「芯」を作るための言葉ではないかと今は思います。大久保利通の座右の銘は大久保利通という人間の「芯」を表す言葉であると思います。
大久保利通の最後の言葉とは?
明治11年、大久保利通は暗殺されます。幕藩体制を破壊し、新しい日本を生み出すことで、大久保利通は多くの敵を作り、恨みを買っていたのです。それが、根拠のない物であったとしても、暗殺の実行者にとってそれは事実であり、彼にとっては「正義」だったのでしょう。
暗殺の日の朝、大久保利通は最後の言葉を残しています。「ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ」彼は日本という国家の近代化のために私財までつぎ込み、国家建設にまい進していたのです。
しかし、そのようなことを大きな声でいう人物ではありません。また、西郷隆盛を死に追いやったという風説に対しても言い訳などしませんでした。大久保利通は明治日本を創るため、先の見えない危機の中、強い信念をもって、明治維新を完遂し、彼の言葉で言う「第二期」が始まるときに死を迎えたのです。彼もまた、近代日本の礎を創り上げた偉人のひとりです。
幕末ライター夜食の独り言
幕末から明治維新にかけて、個人のレベルではなく、日本という国家の未来が全く見えなくなったとき、大久保利通は揺るがぬ信念で未来を切り開き、それが、現代の日本へとつながっています。人間は誰もが時間という壁の中で、先の見えない道を進んでいるようなものです。多くの人の悩みは未来に対する不安でしょう。
そんなとき心の常備薬として大久保利通の名言、格言を思い出してみてはいかがでしょうか。誰しも明治維新の偉人のようにかっこよく生きられるわけではないかもしれません。
ただ、落ち込んだとき、くじけそうになったとき、大久保利通の名言、格言を思い出し、その時代と言葉の意味を考えてみてください。
未来は分からない。だから不安になる。しかし、その未来は自分で創るしかないという決意。大久保利通の残した言葉は、見えない未来に対し立ち向かった言葉であり、現代社会の中で不安を抱えて生きていく人たちにも力を与えてくれる言葉ではないかと私は思います。
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