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[1月23日は八甲田山雪中行軍遭難事件]極寒の八甲田山で起きた惨事

2025年1月17日


八甲田雪中行軍遭難事件(雪山)街亭

 

1902年1月23日、青森県の八甲田山で陸軍の雪中行軍が遭難し、199人中199人が死亡するという日本軍史上最大級の遭難事件が発生しました。目的は寒冷地での過酷な条件下での訓練。しかし極寒と吹雪が訓練を地獄絵図に変えました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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天候と準備不足が悲劇を招いた

 

八甲田山の過酷な環境に対する不十分な装備と天候予測のミスが、行軍の失敗につながりました。特に隊員たちは防寒装備に問題があり、気温が-20℃を下回る中で凍傷に苦しみました。

 

 

一方で成功した別の隊も

 

興味深いことに、弘前第31連隊の別の部隊は同じ日、似た条件で行軍を成功させています。彼らは現地のガイドを活用し、天候を読みながら慎重に進んだことが成功の要因でした。この比較から、準備と適応の重要性が浮き彫りになっています。

 

 

まとめ

 

八甲田山雪中行軍遭難事件は、極限状態での準備と判断の重要性を教えてくれます。あなたなら、このような過酷な状況でどう生き延びますか?

 

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