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[1月30日は赤穂事件]忠臣蔵の真実!吉良邸討ち入りの意外な裏話

2025年1月30日


寺子屋 kawauso編集長とおとぼけ

 

1703年(元禄15年)1月30日、赤穂浪士47人が主君の仇討ちのために吉良義央(よしひさ)の邸宅に討ち入りました。この事件は「忠臣蔵」として語り継がれていますが、史実と創作が混ざり合い、実際の出来事とは異なる点も多いのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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討ち入りの準備はどれほど綿密だったのか?

 

浪士たちは約1年もの間、周到な準備を重ねました。討ち入りの際には黒装束に身を包み、槍や刀を手にしていましたが、一部は白装束で切腹を覚悟していたとも言われています。彼らが残した詳細な計画書が後世に伝わり、その綿密さに驚かされます。

 

 

吉良邸の場所、今は何になっている?

 

吉良邸があった場所は、現在の東京都墨田区両国付近にあたります。現地には「本所松坂町公園」として討ち入りを記念する碑が建てられており、毎年多くの観光客が訪れています。

 

 

 

まとめ

 

忠義を貫いた赤穂浪士たちの行動は、時代を超えて人々の心を動かします。あなたも一度、彼らの歴史の足跡をたどってみてはいかがでしょうか?

 

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