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[3月4日は平清盛が太政大臣に就任日]武士の頂点へ!太政大臣就任の衝撃

2025年3月4日


朝廷すら意のままに操る平清盛

 

1180年、武士として初めて太政大臣に就任した平清盛。この地位は、それまで天皇の親族や貴族しか就けなかった最高官職。つまり、清盛は武士として史上初めて朝廷の最高権力に到達した人物だったのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武士が貴族を超えた瞬間

平家の総帥・平清盛

 

それまで、武士は貴族に仕える存在でした。しかし、清盛は武力だけでなく経済力も駆使し、宋(現在の中国)との貿易で莫大な富を築きました。これが、武士の台頭を決定づける要因となり、後の鎌倉幕府誕生の布石となったのです。

 

 

なぜ清盛は太政大臣を辞任したのか?

公家としての栄華も極めた平清盛

 

しかし、清盛はわずか3ヶ月で太政大臣を辞任します。理由は「武士の頂点に立ったが、朝廷のしがらみが多すぎて思うように動けなかった」ためと言われています。その後、清盛は朝廷を支配するのではなく、自らの政権を築く道を選ぶことに。

 

 

まとめ

NHK大河ドラマ 平清盛風

 

平清盛の就任は、武士が日本の歴史を変える大転換点でした。もし彼が長く政権を握っていたら、日本の歴史はどう変わっていたのでしょうか?

 

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