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[3月9日は寺田屋事件]坂本龍馬を襲った歴史的衝撃の夜

2025年3月9日


坂本龍馬の臨終(暗殺)

 

1866年3月9日、京都の伏見にある「寺田屋」で起こったのが寺田屋事件です。これは幕府側の襲撃を受けた薩摩藩士と、薩摩藩の内紛が絡む2つの事件を指しますが、特に有名なのが坂本龍馬が襲われた1866年の事件です。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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坂本龍馬、絶体絶命!命を救ったのは…

 

この夜、寺田屋に宿泊していた坂本龍馬と盟友・中岡慎太郎は、伏見奉行の役人に襲撃されました。龍馬は風呂に入っていましたが、恋人のお龍が異変を察知し、裸のまま龍馬に知らせたことで命拾いしました。龍馬は銃と刀で応戦し、何とか逃げ延びることに成功します。

 

 

逃亡先で意外な治療法が!?

 

この襲撃で負傷した龍馬は薩摩藩の保護を受け、薩摩藩邸で治療を受けます。驚くべきことに、当時の治療には焼酎が使われたといわれています。これは傷口を消毒するためでしたが、痛みに耐える龍馬の姿が目に浮かびます。

 

 

まとめ

 

もしお龍が異変に気づかなければ、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。龍馬の命を救った寺田屋、次回京都に訪れた際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

 

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