ゴシップ集の先駆け的存在である『世説新語』で最も多く登場するのは東晋時代の英雄・謝安という人物です。桓温による帝位簒奪計画を阻止したり、淝水の戦いで強敵・前秦を下したりと華々しい経歴を持つ彼ですが、その妻・劉夫人も負けず劣らず強かった模様…。
謝安の子育てスタイルにもの申す!
『世説新語』徳行篇には謝安と劉夫人のバトルエピソードが描かれています。我が子が父である謝安に負けないくらい立派な人になるようにと教育にいそしむ劉夫人。現代でもよく見る教育ママっぽい雰囲気がありますが、勝気な劉夫人は一味違います。
ある日、夫である謝安に向かって「あなたはなんで子どもに教育してくれないのです?」と正面切ってもの申したのです。自分ばかり子の教育をするのは不公平だと思ったのでしょうね。すると謝安は次のように答えたそう。「私は自分の日頃の行いを見せることによって自然と教育を施しているんだよ。」ちょっと口やかましく物を教えたところで子どもなんて思い通りに育つものではないということを謝安は言いたかったのでしょうね。その後の劉夫人の反応は描かれていませんが、とりあえず謝安の言葉に納得したのではないでしょうか。
踊り子を見せてあげてもいいけど…?
続いて賢媛篇に見えるエピソードを1つ。謝安は踊り子が大好きだったのですが、劉夫人はそんな夫のために侍女たちの舞を見せることにします。これには謝安も大喜び。劉夫人がいる手前、間近で彼女たちの姿を見ることはできなかったものの夢中になって見つめる謝安…。
しかし突然目の前が真っ暗に。「はい、終了でーす。」劉夫人が天井につけてられていたとばりをおろしたのです。「もっと見せてくれ!」謝安は必死に頼んだのですが、劉夫人は冷たく一言「別にいいけど、あなたの徳についての評判は傷つくでしょうね。」こんなことを言われては、謝安も諦めるしかありません。
実は『芸文類聚』という書物にも謝安の踊り子好きエピソードがあるようです。謝安は踊り子を妾にしたいと常日頃考えていたのですが、妻が妾をとることを絶対に許してくれなかったので半ば諦めかけていました。しかし、そんな謝安に入れ知恵する人物が。「『詩経』には嫉妬をしないことが妻の徳だという詩があることを教えてやればいいんだよ。」さっそくこのことを劉夫人に告げる謝安。話が終わると劉夫人は次のように問いました。「その『詩経』という書物を編んだのは誰ですか?」「聖人として名高い周公だよ。」とドヤ顔の謝安。
しかし、「そうですか。もしも周公ではなくその夫人がその書を編んだのであれば絶対にその詩が選ばれることはなかったでしょうよ。」とピシャリと答えた劉夫人。謝安は妾をとることを諦めざるを得なかったのでした。
あんた兄弟に負けてんじゃん(笑)
『世説新語』排調篇には謝安がまだ出仕せずに東山でニートをしていた頃の話が載っています。謝安の兄弟には早くに仕官してその名を世に轟かせていた者がいたのですが、これについて劉夫人がニヤニヤと笑いながら謝安にチクリ。「男ならこのくらいの大人物になってもらわなきゃねぇ」これに対して謝安は自分の鼻をつまみ「いつかは仕官することになるだろうね。」とテヘペロ。このエピソードに鑑みるに、2人は軽口をたたき合える関係にある仲睦まじい夫婦だったのでしょうね。
あんたの客どうかと思うわ
最後に軽詆篇に見える、やっぱり嫁に勝てない謝安のエピソードをご紹介したいと思います。ある日謝安の家に客が泊まりがけで遊びに来ます。謝安は客をもてなし、客も楽しそうにガハガハ談笑。
しかし、客人の言葉遣いはなれなれしく劉夫人も壁の後ろで思わず聞き耳を立ててしまうほど。謝安は次の日客を送り出した後、劉夫人にちょっぴり得意げに「昨日の客をどう思った?」と尋ねました。劉夫人も気に入ったに違いないと思ったのでしょうね。ところが、劉夫人は次のようにピシャリと答えます。
「私の死んだ兄の家にはあのような程度の低い客は訪れたことがありません。」
劉夫人の答えに謝安は得意になっていた自分が恥ずかしくなってしまったのでした。実は劉夫人の兄・劉惔は後に簡文帝となる司馬昱にも上賓の礼を受けたほどの人物。そんな兄を持つ夫人に対して調子に乗ってしまったのですから恥ずかしくなって当然ですよね。
三国志ライターchopsticksの独り言
劉夫人の歯に衣着せぬ言動は世の男性からキツすぎると敬遠されてしまいそうですが、彼女がそのような勝気な性格だったからこそ英雄である夫・謝安と対等に渡り合えたのかもしれません。典型的な良妻とは正反対に見える彼女ですが、謝安にとっては最高のパートナーだったのではないでしょうか






