ペリーは蒸気船の父!アメリカ海軍近代化プロジェクトX


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ペリー

 

ペリーはアメリカ海軍では「蒸気船海軍の父」と呼ばれています。

元々、彼は技術士官であり、アメリカ海軍の蒸気船導入を推進した人物です。

浦賀に来航した4隻の船の内、2隻は蒸気船で、

しかもその蒸気船のアメリカ海軍への導入にはペリーが大きく関わっていました。

今回は「蒸気船海軍の父」と呼ばれるペリーの

アメリカ海軍近代化プロジェクトについて調べてみました。

 

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浦賀に出現した蒸気船ミシシッピは実はペリー提督が導入した軍艦

黒船とペリー

 

浦賀に来航したペリー艦隊の中にミシシッピ号という蒸気式外輪フリゲート艦がありました。

フリゲートというのは、やや小型の外洋航行可能な軍艦のことです。

実は、ミシシッピ号はペリーが指揮して建造した船です。

ペリーの主張する「蒸気海軍」のための実験を行った船でもありました。

当初は日本訪問艦隊旗艦として建造されたものですが、

より最新のサスケハナ号に旗艦を移し、日本に来航することになりました。


技術将校ペリーが政府に提出した「海軍に関する所見」の内容とは?

ペリー

 

ペリーは14歳でアメリカ海軍士官候補生となり、艦隊勤務を経た後、

ブルックリン海軍工廠(こうしょう)(海軍直轄の造船所)の司令官となります。

このとき、ペリーは「海軍に関する所見」という論文をアメリカ政府に提出しています。

アメリカは世界初の蒸気軍艦を建造していましたが、

当時は1隻も蒸気軍艦を所有していませんでした。

 

それに対し、イギリスの蒸気軍艦保有数は21隻、フランスは23隻と

アメリカは蒸気軍艦の保有と言う面で大きく遅れていたのです。

ペリーは「海軍に関する所見」でアメリカ海軍の蒸気船導入を提案しました。

アメリカ海軍は、ペリーの提案を得て、

まずは実験蒸気フリゲート、フルトン号の建造に踏み切ります。

 

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自ら蒸気船フルトン2世号の艦長になり蒸気船の優秀性を証明したペリー

ペリー

 

実験蒸気フリゲートはアメリカにとって2隻目蒸気船でした。

この建造はペリーが司令官のブルックリン海軍工廠で行われました。

ペリーは実験蒸気船フルトン号の艦長となり、

その実験で蒸気船の帆走船に対する優越性を証明しました。

 

これにより、アメリカ海軍は蒸気船導入に舵を切ることになりました。

フルトン号の成功を経て、ペリーの指揮の下、日本に来航した一隻であるミシシッピ号と

同型艦のミズーリ号が建造されました。

 

アメリカ海軍は2隻の蒸気軍艦を所有することになり、本格的な蒸気軍船時代に入っていきます。

ペリーは蒸気船というハード面だけではなく、蒸気船に対応できる海軍士官教育も進めていきます。

それゆえペリーはアメリカ海軍では「蒸気船海軍の父」と呼ばれ、海軍教育の先駆者と

評価されているのです。


ペリーの浦賀来航はアメリカの威信誇示と蒸気軍艦のデモンストレーションだった?

黒船

 

ペリーは浦賀来航に際して、4隻の蒸気船を要求しました。

しかし、与えられたのは2隻の蒸気船で残りは帆走式の軍船です。

これはアメリカにとっても蒸気船がまだ貴重であったことや予算の問題があったでしょう。

 

しかしなぜ、ペリーは4隻全てを蒸気船にしようとしたのでしょうか。

ペリーは日本に対しては威圧的な外交を行うことで、開国交渉をする方針を固めていました。

そのためには、内海では蒸気機関で自在に動き回れる蒸気船で、日本に対し威信誇示と、

先進科学力、軍事力のデモンストレーションを効果的に行えると考えたのではないでしょうか。

 

ペリー自身はそのことに関しては何も記録を残していませんが、

状況的には十分に考えられることであったでしょう。


  

 

アメリカが蒸気船建造に舵を切った事で日本開国は不可避になる

徳川家

 

蒸気船は帆走船以上の機動力を持つ船ですが、帆走船には無い欠点があります。

それは、石炭や水などを大量に補給する必要があるという点です。

蒸気機関を稼動させるためには、その燃料を補給する拠点が必要となります。

 

アメリカでは産業革命が進んでいる真っ最中であり、工場は夜間も稼動しています。

そのため、灯りをともすための鯨油が大量に必要でした。

そのため捕鯨船は太平洋広く展開していましたので、補給拠点が多く必要だったのです。

 

また、清との交易のためにも、中継点となる日本は重要でした。

アメリカは蒸気船建造に舵を切ったことで、多くの補給を行える拠点が必要となり、

また産業革命による鯨油の需要増大が、捕鯨船の活動を活発になります。

そのため、日本をアメリカのとっての補給拠点として開国させる必要がでてきたのです。

 

蒸気船が歴史的使命を終えた理由は?

車

 

石炭を炊く蒸気船は、やがて重油ボイラーによる機関を持つ船や、

ディーゼルエンジンを持つ船に置き換わっていきます。

石炭を炊く蒸気船は、非常に補給の手間がかかります。石炭は固体ですので、

その塊を船員が抱えて石炭庫の中に運び込まねばなりません。

 

これは、非常な重労働で、時間もかかります。補給の効率が非常に悪いということです。

それに比べて、液体燃料である重油を利用した機関は、パイプで燃料を船に流し込めば、

補給が出来るのです。

 

また、石炭炊き蒸気船は黒い煙を大量に吐きますので、重油利用の船よりも発見が容易です。

これは軍艦にとっては致命的な欠陥となります。

 

また、石炭炊き蒸気船の機関は発展性においてもすでに限界を迎えており、

より進んだ技術で作られるボイラー機関や、ディーゼルエンジンの出現によって

その歴史的な使命を終えることになります。

 

幕末ライター夜食の独り言

 

ペリーは日本を開国させたアメリカ人として有名ですが、

本国ではその実績はあまり有名ではありません。

その後にアメリカ史上最大の被害を出した戦争である南北戦争(なんぼくせんそう)が置き、

日本開国という実績、歴史的出来事のインパクトがアメリカの中で薄まってしまったのです。

ただ、ペリーはアメリカ海軍の中では「蒸気船海軍の父」として、

新技術の対応した士官教育の先駆者として高く評価されています。

 

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