現代では医療も発達して寿命が延び、また平和であるために死というものが遠くに感じられますが、三国時代、戦に身を投じていた人々にとって死とは常に隣り合わせで、とても身近なものだったことでしょう。ところで、そんな彼らの葬儀はどんなものだったのでしょうか?
葬礼が整備されたのは漢代
昭和天皇が1989年1月7日に崩御され、1月半ほど経った2月24日に「大喪の礼」が執り行われた際には日本中から天皇を慕う人たちが集まっただけではなく、世界中から弔問客が訪れました。その葬列は立派な上に大変長く、テレビでは葬儀の様子が終日放送され続けました。実はこの「大喪の礼」、起源は漢代の皇帝の葬礼にあるのだとか。
白い服を着て大声で泣きまくる
では、漢代に整備されたという葬礼はどのようなものだったのでしょうか。范曄『後漢書』の記述から簡単にまとめてみたいと思います。皇帝が亡くなった際には、皇后が三公(大尉・司徒・司空)に葬礼を行うように命じます。臣下たちはすぐに喪服である白装束に着替えて宮廷内外の警戒にあたり、三公は皇帝の体に外傷がないことを確かめた後に死に化粧を施します。その間、皇后・皇太子・皇子が大声で泣き叫ぶのが礼儀です。
次に皇帝の亡骸を沐浴させた後、耳に黄色の綿をつめ、口の中には玉を含ませ、赤い絹で体を覆った上で、金縷玉衣でその身を包みます。また、寝台の下に備えた大きなお盆のようなものに氷を敷き、腐敗を防ぎます。赤い絹や金縷玉衣などは皇帝の特権でしょうが、その他の遺体の扱いは今の私たちとあまり変わっていない印象を受けますね。その後各地の諸侯や太守などに皇帝の死を知らせる竹使符が贈られるのですが、諸侯や太守がこれを受け取った際にはひれ伏して大声で泣きまくるのが礼儀。
そしてその間に皇帝の亡骸を収める柩が作られます。柩は全体を朱色で塗られ、「虚」という神獣や日、月、鳥、亀、龍、虎、連璧、偃月が描かれており、なんだか縁起が良さそうです。良い旅立ちを祈ってのことでしょう。いよいよ皇帝の亡骸を柩におさめる際には、臣下たちが大集合。そしてやっぱり皆ひれ伏して大声を上げて泣きじゃくります。
皇帝の亡骸を柩におさめたら、皇帝が生前大切にしていたものや宝玉を柩の中におさめます。柩に故人に所縁のあるものや大切なものを入れることも、現代の私たちに習慣として受け継がれていますね。その後柩に釘とくさびを打ち、皇帝の偉業を称える内容の弔辞などが捧げられます。その後一通り泣きまくって納棺の儀式は終了です。
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すぐに次期皇帝が即位
しかし、悲しんでばかりもいられません。すぐに次の皇帝の即位の儀式を執り行います。皇帝の即位の儀式は亡くなった前皇帝の柩を前にして行われるのですが、このとき、皇帝はもちろん臣下たちも吉服という晴れ着に身を包みます。
この儀式の際に次期皇帝が皇帝の証である伝国の玉璽を受け取り、代々皇室に伝わる宝を太尉に授けた後、臣下たちに向かって新皇帝即位の号令が発せられます。新皇帝即位の号令を受けて臣下たちは地に伏せ、即位した皇帝の御代が永遠に続くことを祈願して万歳と叫びます。それから罪人の罪を許す大赦が布告され宮殿の門と城門が開かれて即位の儀式はおしまいです。その後すぐ、群臣たちは急いで喪服に着替えます。
出棺から埋葬まで
その後柩を陵墓に納める準備を整えたら、今度は「大喪」という出棺の儀式が行われます。まず先行するのは「方相氏」という官吏です。彼らは悪鬼を払う役割を果たす黄金四つ目の面をかぶり、熊の皮をかぶって黒い衣と赤いスカートを身につけています。そして、矛を持ち、盾を構えて四頭立ての馬車に乗ります。その次に日や月、龍などが描かれた旗を持った12人の官吏が付き従い、その後ろを謁者という官吏が2人、六頭立ての馬車に乗って続きます。
そして皇帝の服飾品を載せた車と柩を載せた車が続くのですが、それらの車には美しい宮殿が備えられていたようです。最近は見なくなりましたが、宮型霊柩車の馬車バージョンをイメージすれば良いでしょう。その柩を載せた馬車の後ろを次期皇帝が付き従います。出発する前には様々な儀式があるのですが、やっぱりここでも泣きじゃくるのが礼儀です。
いよいよ陵墓の前に到着。陵墓は小高い山になっているので馬で登ることはできません。というわけで、車を引っ張るのはなんと高官の子どもたち。車に付け足された紐を握りしめ、300人で引っ張ります。山に横穴を掘って作った陵墓の中に入ると、たくさんの臣下たちによって弔辞や宝物が捧げられ、最後に次期皇帝を中心に皆で泣いた後、前皇帝の御霊を鎮める儀式が行われます。その後、陵墓に続く道が閉ざされて葬儀はおしまい。
三国志ライターchopsticksの独り言
私たちの葬儀と違うところはやっぱりたくさんありますが、似ているところも意外と多いですよね。
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