道家の祖としてその名を知られる老子ですが、その生涯について知っていると自信を持って言える人は全くと言っていいほどいないのではないでしょうか。それもそのはず、彼の生涯については生まれてから死ぬまで謎だらけで、今日に至るまで誰もその真の姿を見出すことができていません。
なぜ彼はそれほどまで謎に包まれているのでしょうか?その謎をいつか誰かに解いてほしいということで、今回は老子についてのあらゆる珍妙奇天烈なウワサをご紹介して前途有望な皆さんに興味を持ってもらおうと思います。
ママのお腹の中にいた年数がヤバすぎる
老子が生まれた年には諸説ありますが、紀元前5世紀末から紀元前4世紀前半、すなわち、春秋時代から戦国時代に移り変わる過渡期に生まれたというのが有力な説のようです。孔子やら孟子やら韓非子やら、そのあたりの思想家たちが活躍した時代に生まれたであろうことは皆さんもなんとなく予想できていたとは思いますが、老子の誕生にまつわるエピソードがとんでもなくヤバイのです。
実は老子、ママのお腹の中に60年以上いたというのです!
それだけでも驚きですが、中には3700年お腹にいたという珍説まで飛び出している始末。普通の人は母親の胎内で10か月ほど過ごして生まれてくるものですし、長い妊娠期間を経て無事生まれてきたと世界中で話題になった赤ちゃんでも1年5か月ほどでしたから、そのことに鑑みればどれほど異常なことであるかはすぐにお分かりいただけるでしょう。
それだけの期間ママの胎内ですくすく育った老子は、生まれたときには既に大人で、白髪混じりの長い髪の毛やひげを蓄えていたそうな。まぁこんな話は当然嘘だと思いますが、それだけの期間ママの腹の中から出てこなかった老子はもちろん、老子を何十年も腹に宿して生活していたご母堂の超人ぶりにも驚かずにはいられませんね。
孔子の師匠!?実はブッダ!?
その出生エピソードからしておかしい、いえ怪しい老子ですが、なんと孔子の師匠であるとの噂まである人物なのです。孔子は若いときに老子から礼を学んだという話が『荘子』やら『史記』やらに残されています。ところがその一方で、孔子が死んでから130年近く経った頃に秦の献公とご対面するというエピソードもあってもう滅茶苦茶。そのため老子は不老不死の仙術を会得していたとまことしやかに囁かれていたようです。
これだけでもビックリ人間(?)ですが、インドに行って仏教の開祖・ブッダになったという珍説もある模様。実は老子はママの左脇から生まれたという珍エピソードも語られており、これはブッダがママの右脇から生まれたというエピソードとカブっています。いずれも中国で仏教と道教を結びつけるのが流行った時代に誰かが作ったホラ話だとは思いますが、それにしたって老子を神格化しすぎではないでしょうか。
偉人の末裔系グラドルの先駆けはあの王朝の〇氏!?
実は老子の本名は李耳であったと言われています。孔子はその姓「孔」に先生を意味する「子」がついているのいうことで、老子についても「老」が姓なのかなと思われがちですが、彼の姓は「李」。トリッキーな彼はやっぱりその呼称もトリッキーなのですね。
そんな彼には自称老子の末裔が鈴なり。李姓の者たちがこぞってその末裔だと自称したといいます。その中でも最たる例は、唐王朝を築いた李氏であり、彼らは老子の末裔であると喧伝したことにより世の人々に必要以上に崇められたといいます。まぁ彼らが老子の子孫であることはそのルーツをたどれば火を見るより明らかだそうですが。微妙なグラドルがキャラ付けのために偉人の末裔を名乗ってうまいこと名を売っているというやつの先駆けにして成功例が千数百年前にあったというわけです。
三国志ライターchopsticksの独り言
神秘的でつかみどころのない存在である老子。実在したのかすら疑わしい有様ですが、中国史においては絶大な存在感を放っていますね。それにしても、やっぱり彼の本当の姿を知りたいものです…。
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