こんにちは。光月ユリシです。拙著「三国夢幻演義 龍の少年」に関心を持ってくださり、ありがとうございます。物語も少しずつ幻想(ファンタジー)色が出てきて、(ないと願いたいですが)中には抵抗感を示す方もいるかもしれません。ですが、これらファンタジー要素は全く中国の古代史と関係ないかと言うと、決してそうではなく、記録にあるものに基づいて着想を得ています。
今回はその辺を解説して、読者の皆様のご理解に繋げたいと思います。
河図=魔法陣?
河は黄河のことで、黄河から現れた龍馬の背中にあった神秘的な図を「河図」といいます。ちなみに、洛水から現れた亀の甲羅にも図があり、それを「洛書」といい、二つ合わせて、「河図洛書(かとらくしょ)」といいます。
その神秘的な図形って何なのか気になるところですが、史書に具体的な図が遺っているわけではありません。インターネット上にあるやつがそうなんでしょうか。一説には、それが八卦の元となったそうですから、とにかく魔法陣っぽいことには変わりありません。脳内転換→はい、魔法陣として採用決定。
河図は伏羲(ふくぎ)という伝説の神の手に渡り、彼が八卦を考案したと伝わります。八卦は易(占い)で用いる八つの図形です。韓国の国旗のデザインにも採用されていますね。余談ですが、相撲の行司が「はっけよい」と声をかけるのは「八卦良い」だそうです。
河図の出典は「論語」ですが、だいたい川から龍馬(ってどんなん?)が現れる時点でファンタジー。
憂国の詩人・屈原
屈原(くつげん)は詩人として有名ですが、戦国時代の楚に仕えた政治家でした。ある日、長沙に左遷されてしまい、鬱々としたものを胸に抱えながら放浪し、数々の詩を遺すのです。作中で言及していますが、彼はシャーマンでもあったようです。そこから、彼の詩に呪文の要素を付け加えました。漢詩の内容が難しい上、聞き慣れない言葉のオンパレードで、まさに呪文のようですから。
彼が汨羅(べきら)江で入水自殺したのが、端午の日のことでした(五月五日)。地元民は船を出して彼の遺体を探しましたが見つかりませんでした。そこで、彼の遺体が魚に食べられてしまわないように、太鼓を叩いて魚を追い払い、米を川に投げ入れたといいます。これが龍船競争(ドラゴンボートレース)と粽(ちまき)の発祥です。
この故事から屈原の命日は端午節となりました。現代中国でも、端午節は重要な祝日で、各地でドラゴンボートレースが開催され、粽が食べられます。日本でも沖縄のドラゴンボートが有名だし、端午の節句に粽(柏餅)を食べる風習がありますが、全てはここから来ています。
私は湖北・湖南省に滞在している間、各地で屈原の像やレリーフ、詩や碑文を目にしました。さすが地元(楚)の有名人だけあって、両省の人々に大層リスペクトされている屈原さんでした。
ウホ、ウホ、禹歩
小説を書く時はキャラの動きもイメージします。魔法陣を前に呪文を唱えるだけでは、ちょっと動き的に物足りない。何か特徴的なアクションがほしいなと考えていたところ、ちょうどいいと思って採用したのが、「禹歩」です。
禹(う)は伝説の古代王朝・夏を収めた偉大な人です。治水に長けた人物で、治水事業のために全国を歩き回りました。そのせいで足を痛め、足を引きずって歩いたといいます。
禹は聖人ですから、禹歩のステップも聖なるものとして、呪文の効力を高める作用があると設定しました。作中で禹歩の動きを紹介していますから、ここでの紹介は省きます。
【独り言】
今回はほとんど三国志からは乖離(かいり)した解説となりましたが、実は三国時代の文化の中にこれらの影響は存在しました。時代を遡れば遡るほど、歴史は伝説とファンタジーの領域に突入します。神とか、仙人とか、不老不死とか、龍とか、鳳凰とか、伝説の中はほとんどファンタジーだらけですよ。逆にこれを否定してしまったら、すごく味気なくなってしまう。きっと血生臭い歴史事実の臭い消し、スパイスみたいな感じで味付けしたかったんでしょうか。
現実には起こり得ないことを考えるのはやっぱり面白いし、人間の想像力がそうさせてきたのでしょう。結構、昔の人も大好きだったんじゃないかな。ファンタジー。
三国夢幻演義 龍の少年 第1話「命の山」見逃し配信
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