こんにちは。光月ユリシです。拙著「三国夢幻演義 龍の少年」に関心を持ってくださり、ありがとうございます。いろいろあった末、孔明たちは何とか長江を渡り、物語も終盤に入りました。これから、成長著しい孔明の活躍が始まりますよ~。
さて、今回は諸葛玄と予章にまつわる二つの説を検証してみます。
諸葛玄のバックにいるのはどっち?
予章太守に任命される諸葛玄ですが、実は袁術に任命されたという説と劉表に任命されたという説の二つがあります。諸葛玄の背後にいる人物はいったいどっちなのか。確か陳舜臣先生の「諸葛孔明」では劉表説でした。陳先生の一家離散を目指したという着眼点は面白かったです。
諸葛玄と劉表が知り合いだったという劉表説を採るなら、最初から疎開先のベクトルは荊州方面に向いていたと考えられます。徐州→予州→荊州を経由して、予章に赴任したんでしょうか。陳先生の「諸葛孔明」では、この説でした。
私は自分なりの検証結果と物語の都合上、袁術縁故説を採用して書いています。以前に解説した通り、諸葛玄は袁術と故吏の関係にあったと思っています。その縁故で太守に抜擢されたと考えます。
袁術が君子だったら、孔明は袁術配下として世に出たかもしれません。そうだったら、お兄さんと同じ道を歩いて、周瑜や魯粛が仲間だったでしょう。歴史のifですが、これはこれで、面白そうですね。
正当な太守は諸葛玄と朱皓とどっち?
諸葛玄が劉表から予章太守に任命されたとすると、恐らく朝廷に上奏が行ったはずです。劉表は宗室ですし、きっとそうしたのではないでしょうか。ですが、朝廷か
らは朱皓が派遣されてきます。
ちょうど皇帝が長安を脱出する時期と重なりますから、行き違いがあったのかもしれませんが、朝廷VS劉表という構図は考えにくい。むしろ朝廷VS袁術ならあり得そう。これも袁術説を採用した一因です。
正当な太守は朱皓。それにしても、朱皓は父(朱儁)が死んだにもかかわらず、太守を続けたんでしょうか?当時重んじられた儒教の常識なら、官を辞して、喪に服す(三年)のが当然なのですが。諸葛玄と争うなんて、もってのほか。ここもミステリーですね。
諸葛玄は死んだの、生き延びたの、どっち?
諸葛玄と朱皓が太守の座を争った結果、諸葛玄は死んだとか、敗れて荊州に遷ったとか、これまた二つの説が存在します。死亡説では朱皓(笮融が援護)に敗れて西城へ退いた後、西城の住民が蜂起して諸葛玄を殺し、首を劉繇へ送ったとあります。
荊州逃亡説も朱皓に敗れた結果なので、どちらにしても、諸葛玄VS朱皓・劉繇の構図で、諸葛玄が負けるわけです。袁術縁故説を採用した以上、孔明が荊州に辿り着くには諸葛玄が生きていてもらわなければ困ります。諸葛玄が死んだ後、叔父さんの遺体を放って子供たちだけで荊州に向かうというのは、ちょっと考えにくい。
一番都合が良いのは、諸葛玄が重症を負いながらも生き延び、旧知の劉表を頼るという展開です。長沙越えルートを通れば、名医・張仲景と会えますし、ここはこの展開を採用しました。陳先生も同じ見解でしたね。
【独り言】
三国志の超有名人・孔明の叔父さんのことなのに記録が少なくあいまいというのが残念ですね。あいまいということは、そこに想像の余地というか、自分の推測を書き込めるスペースがあるということなのですが、やはり、本当の事実を知りたい。
数年前に曹操の墓(未だ議論中)が発見されたというニュースには本当に興奮しましたが、もしかしたら、これからも新しい発見があり、新しい事実が判明するかもしれませんね。
科学技術の進歩で、今まで判読できなかった碑文やら簡牘(かんとく)(木簡・竹簡)が判読できるようになるのは時間の問題でしょう。期待。
タイムマシンができたら、孔明に会っていろいろインタビューしてみたいですね。
お顔と性格がイメージと違ったら、ショックだけど。
三国夢幻演義 龍の少年 第1話「命の山」見逃し配信
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