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今週もお疲れ様。夏侯惇が博望坡で敗れたのは曹操の布告のせい

2021年5月28日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ご視聴ありがとう01 曹操

 

はじめての三国志Tvをご覧の皆さん、1週間お疲れ様でした。今週のお疲れキャラは曹操です。

 

曹操と夏侯惇

 

曹操が身内のように扱った事で有名な夏侯惇ですが、その夏侯惇が劉備に大敗したのが博望坡の戦いです。この戦い、夏侯惇は李典の諫めを聞かずに于禁と突撃して劉備の伏兵に引っ掛かり大敗するのですが、夏侯惇が焦った理由は、曹操の布告のせいである可能性があります。

 

その布告は203年の3月に出され

 


「司馬法には将軍は退却にて死罪とある。趙括の母が趙括に連坐しない事を乞うたのは、昔は将軍が国外で敗れると国内の家族が連座して罪せられたからだ。将軍に敵を征伐させて手柄だけは賞して罪を罰さないのは国法とは言わない。今後は国外で敗れた将軍には罪を加え勝機を失ったものは、官爵を剥奪する


 

博望坡の戦いは、西暦202年の出来事とされますが203年説もあります。夏侯惇がこの布告を聞いた上で劉備を迎え撃ったのだとしたら、功績を焦ってしくじった可能性もありますね。

 

曹操孟徳

 

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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