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戦国日本の奴隷が[最強傭兵]としてオランダやポルトガルを震え上がらせたってホント?

2022年11月25日


 

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

 

 

日本の戦国時代は多くの名将が天下統一への火花を散らす時代というだけではなく、戦争の副産物として発生した捕虜や乱取りで拉致された人々が奴隷として国内ばかりではなく国外にまで売り飛ばされる暗黒の一面がありました。

 

一方で、日本人奴隷は非常に戦闘力が高く、16世紀に東南アジア貿易の覇権を争ったポルトガルとオランダの戦争に傭兵として動員されていた事実も明らかになってきたのです。今回は渡邊大門著、人身売買・奴隷・拉致の日本史を参考に知られざる日本人傭兵の実態を解説します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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1604年ゴア市民よりポルトガル国王への意見書

鉄甲船

 

 

 

海外に売られた日本人奴隷は女性の場合には、労働力、そして性的な搾取の対象となり、男性の場合には、奴隷の期限が過ぎると傭兵として重宝されていました。その事が分る文書が、1604年ゴア市民よりポルトガル国王へ宛てられた意見書から見えてきます。

 

そこには、以下のような事実が記載されていました。

 

 

日本人奴隷は労務年限が来ると解放されて陛下の臣民となる。彼らはゴアに多数存在する武勇の民で戦争に貢献した。最近、オランダとの戦いで見られたように包囲戦や戦況が緊迫した状態になると、ポルトガル人1人が若者(日本人奴隷)七、八人を率い槍と鉄砲を持って現れる。インドにおいては、この日本の若者のみが軍役に耐え得る奴隷である。

引用資料 改訂増補 16世紀日欧交通史の研究

 

 

海上での戦い(地図と本)

 

 

当時、インドのゴアはポルトガルの領地でしたが、周辺にはイスラム教国が広がり紛争状態にあり、同時にアジア貿易を巡ってオランダと対決していました。そこでゴアとしては、ポルトガル人兵士を本国に求めたのですが、それではコストも時間も掛かるので、勢力圏を守る為に日本人奴隷をもっと寄こすようにポルトガル国王に陳情していたのです。

 

また、当時ポルトガルは徳川幕府による日本人を奴隷として海外に売り飛ばさないようにという誓約書にサインしようとしており、そんな事をしたら、ゴアをオランダから守り抜く事は出来ないと釘を刺す目的もありました。

 

 

 

日本人奴隷は傭兵として価値を見出された

火縄銃を撃つ侍(鉄砲)

 

 

 

これは衝撃の文書です。

 

16世紀に日本人が多くは奴隷として、世界中に売り飛ばされていた事は知られてきていましたが、その中で若い男性が奴隷の年限を終えると勇敢な傭兵としてゴアのようなポルトガルの植民地に留まり、ポルトガル人兵士の従者として、ある時にはイスラム勢力、そして、アジア貿易のライバルであったオランダとも交戦していた事実が分かるからです。

 

また別の文書では、日本人奴隷は強く勇敢だが、謀反気があり、油断すればイスラム勢力に通じてポルトガルを襲うかも知れないとも書かれています。

 

 

 

 

オランダも日本人奴隷を高く評価した

 

 

 

また、奴隷として東南アジアに売りとばされた日本人男性の奴隷がオランダに雇用され、ポルトガルとの戦いに投入されていたらしい事実も分っています。オランダ人の評価では、日本人奴隷はよく訓練されており、しかも給与や食事が安く済むと書かれているそうです。

 

さすが経済感覚に聡い、割り勘の国ですが、それはさておき、16世紀のオランダとポルトガルのアジア貿易争奪戦の最前線で日本人奴隷が傭兵として戦っていたのは意外な事実でしょう。

 

 

 

 

 

徳川幕府は傭兵と武器を供給していた

名古屋城

 

 

さらに驚くのは、日本人を奴隷として売る事を禁止していた徳川幕府が日本人傭兵の供給については、合意に達していたという事実です。同時に幕府は、日本国内で製造した武器をオランダに供給して対価を得ていました。

 

なんと、幕府はポルトガルとオランダの戦争に武器と傭兵を供給する事で、戦争に一枚噛んでいたのです。数年後には、制限貿易に舵を切るとは思えない海外に目を向けた徳川幕府初期の知られざる一面ですね。

 

 

 

自分で自分を売った奴隷たち

足軽b-モブ(兵士)

 

 

 

このように、海外で傭兵として活躍した日本人奴隷には、戦争に敗れたり乱取りで戦利品になったり、貧困で親や家族に売られたケース以外に自分で自分を売った人間も含まれていました。

 

彼らは、金欲しさで、或いは借金返済の為に自分を売り、ガレオン船に乗って異国に渡り、そこで逃亡して海外に新天地を求め成功を夢見た人々です。このような人々を奴隷商人は嫌い、最小の代金しか支払いませんでしたが、武芸を持って鳴らすこのような人々が、イスラム、ポルトガル、オランダ、いずれかの国々に傭兵として雇われていたとも考えられます。

 

 

 

元和六年以降、幕府が海禁策を実施

幕末_密室政治(軍議)

 

 

 

日本人傭兵や武器が、オランダvsポルトガルの戦いに利用された江戸初期ですが、それも、元和6年(1620年)以後、幕府が人身売買、武器輸出、海賊行為を禁止した為に、日本人が国外に出られなくなり、次第に下火になっていきます。

 

こうして日本人が海外に出られなくなると、オランダとポルトガルは日本人傭兵以外の方策を取る必要に迫られるようになります。オランダは、より巧妙に立ち回り、幕府と結んでカトリックの日本征服の陰謀を吹きこみ、ポルトガルを日本との貿易から排除する事に成功します。その後ポルトガルは、オランダの攻勢に押されて、アジア市場をあきらめ南米へとシフトしていきました。

 

 

 

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

 

一口に奴隷と言っても、その境遇は様々で、傭兵のように欧州列強に雇用され、代理戦争を戦うケースもあったとは意外でした。1世紀の戦乱に慣れた戦国の日本人は、現代の日本人とは随分違う、荒くれた殺伐とした人々だったのかも知れませんね。

 

参考:人身売買・奴隷・拉致の日本史 渡邊大門 柏書房(2014/4/1)

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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