皆さんは袁術の配下って誰がいるかご存知ですか。もしかしたらあまり優秀な武将が居ないと思っている方も多いと思います。だけどそんなことはありません。
袁術の配下にも優秀な武将がいっぱいいますが、今回紹介するのは閻象と言う人物です。彼はどのような人物か皆さん知っていますか。
曹操軍へ攻撃するが…
閻象は袁術の主簿として仕官し、袁術の命令を作成したりする文章作成の仕事に携わっていました。閻象は袁術から注意を受けたりしていない事から、文章作成に秀でた人物だったと思われます。閻象が袁術に仕えた頃、南陽に食べ物が少なくなってしまいます。
そのため袁術は曹操の領土へ侵攻を開始。閻象は袁術に従い出陣しますが、袁術軍の将軍たちが曹操軍の強烈な攻撃を受けて、敗北してしまいます。袁術軍は曹操軍に敗北してしまった為、曹操軍の苛烈な追撃を受けてしまいます。
閻象は袁術と一緒に曹操軍の追撃を逃れるため必死に逃亡し、寿春へたどり着くのでした。
後漢王朝軍が敗北
後漢王朝の皇帝は董卓の跡を継いだ李傕や郭汜の勧めに従って、長安から東方へ向けて移動します。だが郭汜は突然東方へ向かって移動した皇帝を捕えるため軍勢を出陣させますが、皇帝の側近・董承達が協力して郭汜軍を撃破。
郭汜はそのまま洛陽へ向かって逃亡していきます。李傕は郭汜の軍勢が撃破された事を知って、郭汜を加えて皇帝を捕えるため大軍を率いて出陣。皇帝の側近・董承らは李傕や郭汜らの大軍が接近してくると少ない人数で、曹陽と呼ばれる地で迎撃しますが、敗北してしまいます。
後漢王朝の皇帝は李傕や郭汜らの軍勢から命からがら逃れることに成功。袁術は後漢王朝の皇帝が李傕や郭汜らの軍勢に敗北して、ボロボロになっている状況を知り、あることを閃きます。
「そうだ!!皇帝になろう!!」
袁術は後漢王朝がすでに形骸化して、無きに等しい状況になっている現状を考え「そうだ!!俺が皇帝になっちゃえばよくないか」と思いつきます。袁術は自分が皇帝になる計画を配下達へ諮問。
袁術の配下達は「後漢王朝が存在している状況で皇帝に就くのは良くない」と考えていましたが、袁術の機嫌が悪くなって八つ当たりされることを恐れ、誰一人として反対意見を言いませんでした。
袁術は一人も反対意見を言わない状況を見て「皆が反対意見を言わない所を見ると、やはり俺が後漢王朝に代わって皇帝になろう」と高らかに宣言しようと口を開きかけますが、「待った!!」をかけた人物が登場。
「皇帝になるのはまだ早い!!」
閻象は袁術が皇帝になりたいと言っている事に危うさを感じ、袁術へ反対意見を述べます。
閻象は袁術へ「周は徳と功績を積み重ね、天下の三分の二を手中に収めながらも殷王朝へ仕えていました。殿の家柄は三公を輩出した名家ですが、周に及ぶほど徳と功績を積み重ねているのでしょうか。
また後漢王朝が衰えてボロボロになっている状況でも、殷王朝の紂王に匹敵するほどやりたい放題しているとは思えません。これらの事から殿が皇帝になるのはまだ早いと言えるでしょう。」と袁術を批判しつつ皇帝になるべきじゃないと注意。袁術は閻象の意見を聞いて顔をしかめますが、彼の意見を用いて、皇帝就任を諦めるのでした。
三国志ライター黒田レンの独り言
閻象のおかげで袁術は皇帝就任を取りやめますが、皇帝になる野望を捨てたわけではありませんでした。袁術は「皇帝になるきっかけが出現した」と唱えた河内の張烱説を採用し、閻象の意見から2年後皇帝に就任してしまいます。
閻象は袁術が皇帝になる際、再び意見を言わなかったのでしょうか。正史三国志袁術伝や他の書物には閻象が袁術に反対意見を述べたと記載されていません。また閻象は袁術の政権でどのように過ごしたのかも史書に無い事から、彼を見限って離れてしまったのかもしれません。
■参考文献 正史三国志魏書等
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