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天皇の追号に多い後○○はどんな意味

2022年12月26日


 

権力を失った後白河天皇

 

 

日本史において天皇の存在は、それ抜きには語れないレベルで重要です。そんな天皇と言えば、後白河法皇や後鳥羽上皇のように、後○○とつくケースが幾つかありますよね?あれにはパターンがあったりするんでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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後○○には2つのパターンがある

京都御所

 

 

後○○と追号がつくケースでは、2つのパターンがあるようです。①後○○天皇が〇〇天皇と同じ場所に住んでいた場合。②後○○天皇の事績が○○天皇の事績に近い場合です。①のケースでは、追号は天皇が住んでいた場所に因むので以前に同じ場所に住んでいた天皇がいると追号も同じになり紛らわしいので後○○天皇として区別しました。

 

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

 

次に②のケースでは天皇個人の願望が含まれるケースが多く、後白河天皇は祖父である白河天皇に憧れて後白河の追号を望み、後醍醐天皇は平安中期の醍醐天皇の親政を目指していたので後醍醐の追号を生前から希望していたようです。

 

 

後柏原天皇や後奈良天皇は?

朝廷(天皇)

 

 

天皇の中には、戦国時代の後柏原天皇や後奈良天皇のように、柏原天皇や奈良天皇がいないのに「後」がついている天皇がいます。これは不思議ですよね?しかし実際は柏原天皇とは桓武天皇の通称、奈良天皇とは平城天皇の通称でした。つまり後柏原天皇とは後桓武天皇、後奈良天皇は後平城天皇と意味するところは同じなのです。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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