毎年、1月2日には皇居で「新年一般参賀」が行われています。令和3年と4年はコロナ禍の影響で実施が見合されていましたが令和5年からは、入場者を1回1600人に絞り開催される運びになりました。毎年、新年最初のニュースで取り上げられる一般参賀ですが、全くの偶然から始まったってご存知ですか?
敗戦後の勤労奉仕団が始まり
一般参賀の原型は大東亜戦争敗戦直後にさかのぼります。この時、東京は一面の焼野原で皇居内も夏草が生い茂っていました。それを見かねた62名の男女の勤労奉仕団が宮内省に草刈りを申し出て許可されます。災害時以外で位階勲等を持たない一般市民が皇居に入ったのはこれが最初でした。その時、たまたま昭和天皇が勤労奉仕団を見つけ、全くのイレギュラーで声をかけ、生活の状況を聞き感謝の言葉を述べたのです。
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皇居内の草刈りを申し出る国民が4万人に
この話は、口コミで全国に広がり、もしかしたら天皇陛下に会えるかも知れないと考えた人々が次々と皇居内の草刈りを申し出るようになり昭和26年には4万人に達します。これを受けて昭和23年宮内庁が一般参賀を決めると、1月1日だけで7万人の国民が皇居にやってきました。ただ、一般参賀を許可したと言っても、当初は天皇が姿を見せる事はなく、記帳して坂下門から入り皇居を遥拝して大手門から出るだけでした。
国民の様子を屋根から見ていた昭和天皇
しかし、昭和23年の1月2日14万人もの国民が詰めかけている事を知った昭和天皇は「その様子を是非見たい」と言い、宮内庁庁舎の屋根に上り、こっそりと国民の様子を見ていたそうです。国民を驚かせてはいけないと控え目に様子を見ていた昭和天皇の姿を想像すると微笑ましいですね。
天皇誕生日に昭和天皇が発見される
同年の4月29日の天皇誕生日にも皇居は解放され、多くの国民が記帳に詰めかけました。この時も昭和天皇は宮内庁庁舎の屋根からこっそり様子を見ていましたが、たまたま屋根の上に天皇がいる事を見つけた国民の1人が「天皇陛下万歳」と叫んだので、大勢が天皇の姿に気づき万歳の合唱が起こります。以来、天皇は一般参賀でやってきた国民の前に姿を現すのが恒例になり、やがて皇后や一般皇族までが参加して、国民の挨拶を受ける現在の一般参賀が誕生しました。
一般参賀の始まりを思い起こす
このように一般参賀は宮内庁が皇室の人気獲得のために始めたのではなく、ただ皇居が夏草で荒れ果てているのを何とかしたいと自主的に草刈りを始めた国民に天皇が感謝の気持を伝えて自然に始まったものなのです。だからこそコロナ禍を乗り越え、今でも自然に継続しているんですね。
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