戦国時代はTVでも視聴率が取れる数少ない歴史コンテンツで、戦国大名石高ランキングなどが人気です。当時、大名の勢力は石高で表されていたので、石高が高い大名ほど有能で石高が低いと大した事がない大名に見えるかも知れません。しかし、それはハッキリ言って間違いなのです。
石高が大きいほど軍役負担が大きくなる
戦国時代の石高とは、単純に大名の経済力の大きさではありませんでした。当時は石高に応じて軍役が課されていたからです。軍役については諸説ありますが1万石につき250人が相場で、10万石なら2500人ですが、100万石なら25000人動員しないといけません。また、戦国時代の合戦費用は大名が自腹で出し、その後に奪い取った領地や金銭で埋め合わせる先払い方式でした。勝てばいいですが引き分けたり負けたりすると、もちろん報酬はなく借金がかさむ事になったのです。
石高が低くても軍役負担が小さいと裕福
戦国大名の中には、石田三成のように秀吉の右腕なのに19万4000石とあまり石高が大きくない武将もいます。しかし、石高が小さいと言う事は軍役も小さく、負け戦や引き分けが続いても借金がかさむリスクは小さくなります。あえて高い石高を望まず、そこそこの石高で軍役負担を軽く済ますというのも、大名の生き残り戦術としては有効だったのです。
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石高が大きいとお家騒動のタネになる
軍役以外にも大名は領地が増えると、その分大勢の家臣を抱えないといけませんでした。たとえば、織田信長の勘気を被り、高野山に追放された佐久間信盛の罪状にも石高が大きいのに金銭をケチって必要な家臣を雇わなかったという一文があります。
このように石高が大きいと否応なく家臣が増え、それぞれが派閥を造って揉める事にも繋がります。その点、石高が低い大名は家臣も少なく、目が届きやすいのでお家騒動のリスクも軽減されるのです。
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